土日も家で校閲の内職をして、月曜日にバイト先に届けて、そのまま仕事。
そしてへロヘロと家に帰ったら、来週の取材予定の企業が社長インタビューだけ
火曜日にとか言い出していて、大慌てで取材の準備やデジカメの充電を開始。
コミュニケーション不足の憎き代理店からのメールをチェックしたら
「担当の代わりに私が行きます。それでは××駅の東改札で10時に、じゃっ!」
と、あたかも爽やかな一陣の風を巻き起こすがごとくの、一方的業務連絡ぶり。
とにかく、そうそう、ICレコーダーを探さなきゃ、電池、電池はどこだ?
といった感じでバタバタと明日の準備をしていたのですが、そうしたら電池を
入れている棚から “ころん” とカッパが落ちてきたのでございます。
そしてそのカッパ、ニコニコ笑って 「東京100年」 なんて書いてある葉っぱを
持っているのでした。
そのカッパはバッチになっていて、頭のところには 「1968年」、体のところには
「大東京祭記念」 と書かれていたので、「大東京祭記念」 を即検索!
「大東京祭」 とは1457年に太田道灌が皇居の旧本丸を中心に、江戸城を築城して
から500年目ということで、1956年に開都500年を記念して開催されたようです。
太田道灌といえば、石神井城の豊島氏を滅亡に追い込んだ極悪人ではないですか!
「(大東京祭改め) 東京ふれあい祭」 に負けるな、石神井の 「照姫祭り」!
と、にわかに地元愛に目覚める私でした。
で、私のカッパちゃんは 「東京100年」 なんて中途半端な数字を持っています。
東京市と東京府が廃止されて 「東京都」 になったのは1943年7月だし、
もっと遡って、新東京府が発足して東京が府庁所在地となったのは1871年。
1968年で100年を迎えるものなどなさそう…。と思ったら、100年目に当たるのは
「都政のスタートから」 だったのでした。
んなら、「東京100年」 じゃなく 「都政100年」 て書けよ! 赤字入れちゃうぞ!
と八つ当たり。
このカッパちゃんは1960年代〜1970年代は、水戸黄門の印籠のような力を持って
いました。「都民の日」 であれば、このカッパちゃんのバッチを付けている子は
東京都の施設や公園、良く例に出されたのが上野動物園と東京タワーでしたが、
タダで入ることができたのです。代々木のスケート場も確かタダでした。
ちなみに 「都民の日」 は東京市が発足した日の10月1日となったということは
小学校3年生くらいの時に、社会科の 『私たちの東京』 で勉強したかと思います。
表紙は新宿の高層ビル街だったのを覚えています。
ただ、私はこのカッパちゃんのバッチを買った覚えがなく、小学校で配られた記憶が
おぼろげにあるのです。他のサイトやブログには、小学校や宝くじ売り場などでも
売っていたと書いてありました。
そして何と、このカッパバッジは1951年から1997年まで、50年近くも続いて
いたようで、復刻製のカッパも登場するなど、東京ローム層の下を流れる
地下水のように脈々と、自らの子孫を増やしていったようです。。
その間に、デザインの担当者も3人ほど替わり、1951年から1953年が彫刻家の
朝倉文夫氏、1954年から1970年が河童の漫画家・清水崑氏、そして1971年から
が漫画家の小島功氏で、1997年の最期を見届けました。
さまざまなサイトやブログのカッパのバッジをチェックしましたが、
「カッパのバッジのミュージアム」 には、1976年からのカッパバッジが
5色揃った状態で備品のまま掲載されています。
小島功氏の絵で、私が持っている清水崑氏のカッパよりふくよかで童顔です。
(http://bell-ma.hp.infoseek.co.jp/07_bajji/index.htm)
そして、ようやく私に一番近そうなカッパを発見!
都政101年大東京祭の記念バッジということなので、私が持っているカッパの
1歳年下で1969年生まれの物でした。でも、親は同じ清水崑氏です。
1968年のカッパは 「東京100年」 の葉っぱが薄いブルーで体は白の2色ですが、
1969年のカッパは座っている岩も白で、記念行事などの規模から、前年よりは
経費削減されたのでしょうか?
(http://blogs.yahoo.co.jp/jmy1jp/55295934.html)
え〜えと何探していたんだっけ。
そうそう、電池。IC レコーダー用の替えの電池でした。
明日、取材前にコンビニで買うことに決定!
またもや展示最終日ギリギリで、東京・池袋にある 「古代オリエント博物館」 の
「吉村作治の新発見!エジプト展」 に行ってまいりました。
「青いミイラマスク」 以来、久々の 「古代オリエント博物館」。
最終日ということもあって、小さいお子様連れから高齢者の方まで幅広い年齢層の
人たちが来場していました。
今回の 「吉村作治の新発見!エジプト展」 は、吉村作治氏のエジプト考古学
40周年を記念しているということもあって、早稲田隊の発掘した物だけでなく、
カイロ博物館のコレクションも多数展示してあるため、見応え充分でした。
また、テーマもいつも以上に絞られていて、これまでの数々の発見を通じて、
古代エジプト人の生死観を伝えると共に、死というものをどのように捉えるかを
この展示を見た人たちに対しても投げかけるような見事な展示&演出でした。
まあ、第二の太陽の船復元プロジェクトの資金集めに、吉村氏のつくった
陶芸作品展も併設だったのはご愛嬌という感じで。
メインはやはり、ダハシュール北遺跡で吉村氏が発見した、夫・セベクハトと
妻・セネトイトエスという 「夫婦のミイラ」 と、神殿やピラミッドを造る
建築技師と思われるチャイとその子供の 「親子ミイラ」 です。
「夫婦のミイラ」 というのはエジプト考古学史上初の快挙で、「親子ミイラ」 も
大変珍しいということです。
これら(彼ら?)が発掘されたのは、以前見に来た 「青いミイラマスク」 を
被っていたセヌウの墓から15メートルも離れていない所でした。
また、セクベハトの人型棺には、頭部に頭髪を象ったビーズ装飾が施されていて、
髪のカールを表現しているということだったのですが、ちょっと仏像の螺髪に
似ているなあと思っていたら、ビデオブースで見た吉村氏のコメントの中にも
こういう表現が仏像にも影響した可能性があると述べられていました。
また、私自身、単純に 「第二の太陽の船」 は早稲田大学のメカ技術による
勝利のような印象があったのですが、今回、古代エジプト人の生死観を丹念に
説明するビデオなどを見るにつけ、吉村氏がその思想を深く理解したからこそ
この発見があったのだと実感しました。シュリーマンはお宝目当てでしたが、
自分の仮説に対して資材を投じ研究し続けた吉村氏の熱意と執念には感動しました。
2月20日からは 「北海道近代美術館」 で開催するとのことなので、北海道の方には
ぜひオススメです。
そんなに感動したのですが、「第二の太陽の船」 募金には30円くらいしか
募金する余裕がなく、しょんぼり。募金箱は透明のピラミッド型のケースに
なっていたのですが、100円玉と1000円札が多くてビックリ。
とくに1000円札が多かったように思います。
これらの発掘した物は、吉村氏のサイトにある 「古代エジプト調査隊のあゆみ」
というコンテンツにも画像付きで載っています。
(http://www.egypt.co.jp/)
さらに 「サンシャイン60」 を散策
「サンシャイン60」 を出ようと思ったら、入り口の富士山と花が描いてある
レリーフが片岡球子さんの作品だとふと気付きました。
そのレリーフの脇には 「霊峰富士は、四季を通じて、この江戸、即ち東京の
地を守り、人々の心を清めるかのような勇姿をあらわしている。梅、桜花、
牡丹に花菖蒲、菊に南天を添えて献花したい」 という言葉が掲げられており、
「献花」 という言葉に引っかかり、一瞬 「むーん」 と考えていたら、
「サンシャイン60」 は 東京拘置所、「巣鴨プリズン」 だったことを、
遅まきながら思い出しました。
SMAP・中居くん主演の映画 『私は貝になりたい』 で、仲間由紀恵さんが
減刑嘆願のための上京して、池袋に着き、巣鴨プリズンの方を見渡すシーンが
ありましたが、その時、右手に白い建物があった場所が巣鴨プリズンであり、
現在の 「サンシャイン60」 なのです。
そこで、「サンシャイン60」 の隣にある 「東池袋中央公園」 にも足を伸ばし、
公園の隅に植木に隠されるように立っている 「永久平和を願って」 の碑も
見てきました。碑の前にはお酒などが置かれていました。
裏に回ったのですが、ちょっと文字が読みにくかったので、家に帰りネットで
調べたところ、「極東軍事裁判所が課した刑及び他の連合国戦争犯罪法廷が
課した一部の刑がこの地で執行された」 と裏には書かれているそうです。
何だか、お台場に遊びに行って、黒船への防衛としてつくられた本家・台場を
見た時のような気分になりました。
隔週発行になって、手に入りにくくなった 『R25』 同様、もともと
隔週発行だった 『L25』 ですが、その特集にバレンタイン特集があり、
そこに描かれていたリクルートお得意のリサーチ円グラフはなかなか
興味深いデータでした。
本命チョコは 「手づくり派」 が約40%、「店買い派」 が約55%ということで
意外と数字が拮抗しているんですね。
私がこれまで周囲を見てきた雰囲気では 「手づくり派」30%、「店買い派」 70%
といった印象だったんですが…。
それとも、私が身を置く業種が、日々の仕事に追われる荒んだ感じの広告業や
出版業といったジャンルだからかもしれません。土日出勤も多いし、ゆったりと
チョコを湯煎して型にいれたり、丸めたりなんてしてられっかー! という雰囲気
いっぱいの 「ただ “人間” でいたい」 みたいな最低限の夢を何とかキープ
している人も多々いる世界だからでしょうか? バレンタインに関わるのは
紙媒体にいた時は大体みんながクリスマスに盛り上がっている12月なので、
そういった時差もバレンタインに対する “やる気のなさ” につながっています。
確かに今携わっている紙媒体も来月は 「ゴールデンウィーク特集」 だしね…。
そして、話を戻すと、私が一番驚いたのは 「本命チョコ」 と 「義理チョコ」 の
一人当たりの予算平均額です。
「本命チョコ」 2721円というのは理解できるものの、「義理チョコ」 もちゃんと
491円と、1コ500円くらい使うんですね。これはホントに意外でした。
この不景気にえらすぎるぞ、女の子!
私は仕事上、役員付きだったので、義理チョコだけで毎年数万円かかって
いました。役員というと、海外赴任経験などもあり、チョコレートでも一蘊蓄
語れるような人も多かったため、ゴディバやデメルは当たり前。外側が陶器で
できているような大体3000円以上のラインにしていました。
ただ、ホワイトデーのお返しは、フレンチのお食事やブランド物のスカーフなど、
高価なものが多く、収支としてはプラスになっていたと思います。
チョコをもらう側になるのもちょっと嬉しい
中学時代、軟式野球をやっていたので、高校は大学受験がない学校で
存分に野球をやるぞーと張り切り、エスカレーター式の高校に入学。
そこまでは良かったのですが、野球部ないし!!!
「それなら野球部を作ってやるー!」 と息巻いていたのですが、
学校の様々なルールも熟知せずに動くのは早計と考えた結果…。
しかたなく、バットを竹刀に持ち替え、当時人気だった剣道をやることに
しました。中高も一貫の学校だったので、同じ学年でも中学から剣道を
やってきた人は格段に強く、それに負けじと休日校庭で高校から剣道を
始めた友人とバチバチ竹刀を振って練習しました。
その甲斐あってか、高校から始めた中ではまあまあの成績を残せるように
なり、高校から始めたという2年生くらいには勝てるようになったのですが、
私はアレルギーでコンタクトが使えなかったので防具をつける際にメガネを
取らねばならず、ちょっとうまい人と当たると剣先が良く見えず、一瞬の
タイミングに遅れて負けてしまうという壁が立ちはだかりました。
そんな頃、同じクラスの漫画研究会の友人に強引に誘われ、何となく漫研に。
数カ月ごとに行われるイラストの展示会などで、次第に名前が覚えられ、
さらに学内の球技大会などでも、学年で一番短距離が速かったこともあって
バスケットの試合などでそれなりに活躍させていただき。
何だか学内では有名人になっていたのです。学年ごとにファンクラブができた
こともあって、私ともう一人の漫研の友人で30頁程度の同人誌を数回出し、
各学年のファンクラブのリーダーにそれを売ってもらいました。
同人誌はちゃっちいコピー製だったこともあり、現在の収入よりも良いような…。
おそらく校則違反だったと思います。でも、時効だし。
で、そういった多くは女子中学生の子たちがバレンタインデーになると、
チョコを作って、中高では館が違うのですがそれをの乗り越えて、
教室の前まで来ると 「きゃー」「××ちゃん、行きなよー」 とか言って
テンションがいやに高いし、教室内にも聞こえてるし…。
クラスメイトの誰かが呼びに来てくれたら、席を立って教室の外に出ると、
何だかキラキラ・ワクワクした視線が一気に注がれるのには、最初の
うちは結構緊張しました。が、慣れると余裕の笑みで、舞台袖へ下がるように、
教室に下がれるようになったのでした。
教室へ戻ると、外で 「きゃー、しゃべっちゃったー!」 といった声が上がるので、
クラスメイトに対してはちょっと居心地悪い感じ。それだけは変わりませんでした。
ある意味、一風変わった “モテモテ” 体験でしょう。
この “モテモテ” 期は約3年で終息しましたけどね。。。
いただいたチョコは、みんな怖ろしく上手で、私が甘いのが苦手という
情報もあってか、ほとんどがビター。ラッピングもかわいくて、
バレンタインデーだけは男として生きてもいいかもと考えることもありました。
男でも女でも、本気でもらえるチョコは誰にとっても嬉しいものなのじゃ
ないのでしょうか。
ちなみに、高校時代、野球部は作れませんでしたが、漫画研究会の人と
一緒に 「アニメ同好会」 は作りました。その時、立ち上げの面白さに
目覚めてしまったためか、大人になってからも会社やプロジェクト立ち上げと
いうとすぐに参加してしまう人間になってしまったのです。
思い出のチョコは
もちろん、不二家の 『ハートチョコレート』 でんがな!
『ポパイキャラメル』と共に1935年に発売された 『ハートチョコレート』。
一時期は義理チョコの代名詞になっていたと思います。
(http://www.fujiya-peko.co.jp/)
小学六年生の時、2月に両親の新潟転勤で引っ越してしまった壁新聞
制作仲間に贈ったのが最初かも?
その時に渡したのが、忘れもしない王道 『ハートチョコレート』 でございます。
久々に自腹で購入した見たのですが、263円のその 『ハートチョコレート』 は
子供の頃のものとは包装が変わっていて、ゴージャスになっていました。
いろいろな問題にぶつかり、乗り越えてきた 『不二家』 の定番が、
どういったカタチでもいまだに楽しめるのは嬉しいことです。
久々の 『ハートチョコレート』 でしたが、少なくともカカオの味が当時よりも
濃くなってパンチが効いた味になっていると思います。
テレビCMの 「資格という字は次を見ると書くんだぁあ」 の叫びに触発され、
昨年、映画 『沈まぬ太陽』 を観た際に、その中のセリフで渡辺謙さん演じる
父親に子供が 「お父さんどうして鳥と島の字は似ているの?」 という質問が
あって、私の中で消化できていないことを思い出したので、今ごろ調べてみました。
「鳥」 と 「島」 の字が似ているのは、渡り鳥が海を渡る途中で休むための山、
すなわち 「島」 を表すようになったとする説もありましたが、決定的な答えは
出ていないようです。
子供の頃は 「漢字のなりたち」 とかいう本を持っていて、人と木で 「休」 とか、
鳥の子供が羽ばたく練習を繰り返ししている様が 「習」 になったとか、結構
興味を持って勉強していたのですが、いつの間にか文字は単なる伝達のための
記号であり、飯のタネ、みたいな位置づけとなってしまっていました。
ライターとして言葉を大事にしないのは、自分の文章や選んだ言葉に責任を
持っていないようなもので、イカンイカン。
鳥の字から思考が拡大
ということで、「鳥」 から始めて、動物関係の漢字をいろいろ調べていたら、
中国語での動物の鳴き声に関するサイトに突き当たってしまいました。
たとえば、「鳩」 という漢字を作る時に、鳩が 「く、きゅっきゅっ」 という
鳴き声だったことから漢字を探し、その時に 「九」 という漢字があったので、
その文字と 「鳥」 を組み合わせて 「鳩」 という漢字をつくったそうです。
ということは、中国では 「キューちゃん」 は九官鳥ではなくて鳩なんですね。
その他、ネコは「苗(ビョウ)」と鳴くから猫に。「瓜(コ)」と鳴くから狐。
そして、「文文(ブンブン)」飛ぶから 「蚊」 となったそうです。
音から名前をつけたというのは面白い発見でした。
動物の鳴き声と言ったら
そんなことを調べていたらつい、中学校の頃に学んだ狂言 「柿山伏」 を
思い出してしまいました。あの「貝をも持たぬ山伏が〜貝をも持たぬ山伏が〜
道々うそ(口笛)を吹こうよ」 から始まる、学校で行われる狂言教室の定番です。
よその家の柿を盗んだ偽山伏をこらしめてやろうと、山伏と気付かないふりをして
山伏に猿や犬、鳶などのモノマネをさせて辱め、最後は飛びのモノマネで
柿の木から落ちてしまいます。狂言は、大体この 「柿山伏」 のように、
通常では高い地位の者、つねに威張っている側の階級に対して、庶民が知恵を
使って相手にぎゃふんと言わせ、高らかに笑うようなストーリーが多数あります。
最初は 「猿なら鳴こうぞよ」 と言われ 「(山伏)鳴かずばなるまい。きや」
と鳴き、次に 「犬なら鳴こうぞよ」 と言われ 「鳴かずばなるまい。びよ」 と
鳴いてその場をしのいだ山伏も、男に 「鳶ならば飛ぼうぞよ」 と言われた時は
「飛ばさなるまい」 と木から飛んでしまうのですが、この時の動物の鳴き声が
現代とあまりに違っていて面白かったので、この部分だけはよく覚えています。
猿の 「きや」 は今にも通じるものがありますが、犬の 「びよ」 ってそれ何犬?
猛禽類の腐った雛鳥のような鳴き声じゃありませんか。
犬は他の演目にも 「びょうびょう」 といった形で鳴き声を表現されています。
さらには、狐が 「くわーい」、蚊は 「ぷー」、鶏は「とってんこうー」。
どれも何となく間抜けな感じ。
ちなみに柿山伏が鳶の鳴き声の方をやらされたとしたら 「ひいよろよろ」。
ますますもって情けない雰囲気の鳴き声になってしまうのです。
「びよ」 が 「バウワウ」、「とってんこうー」 が 「コッカドゥードゥルドゥー」。
やはり国によって、犬種や鶏の種類は異なると思いますが、一番大きく違って
いるのは、その鳴き声を聞き取る人間の聴覚と、言語に置きかえる表現力
ということになるのかもしれません。
少なくとも私には鳩が 「きゅーきゅー」 鳴いているとは思えません。
どちらかというと 「ぐるるっ、ぐるるるるっ」 とか 「デデポッポポー」 と鳴いて
いるように思えるんですが…。ホント、人それぞれですね。
一時期働いていた出版社が原宿だったこともあり、山手線が止まった時は
総武線で代々木まで行って、そこから山手線と並行して続く明治神宮の南参道を
朝からテクテク歩いていくこともあったので、明治神宮には馴染みがあります。
そんな明治神宮の 「御苑」 にある 「清正井(きよまさのいど)」 が、
写メして待ち受け画像にしておくと願いが叶うパワースポットとして
テレビで紹介されたことから、昨年末から人気急上昇中で、
休日には何時間も待つほどだと 『SPA!』 に書いてありました。
明治神宮御苑の入り口には現在、「清正井」 までの待ち時間が掲示されたり、
なんと整理券まで発行するなど、ほとんどディズニーランド状態のようです。
『SPA!』 には 「少し経って人が減ってから行けばいいのでは」 みたいなことが
書いてありましたが、あえて寅年に “虎退治” で有名な加藤清正の関係に
慌てていく必要もない気もしなくもありません。
私も菖蒲の季節に 「清正井」 は行ったことがありますが、たった一度だけ。
なぜなら、明治神宮御苑は神社の方と違って有料なので、菖蒲園が美しい
季節でもないとお金を払ってまで行きたくないというのが本音です。
入り口から右手の方へ歩いて5・6分ほどの場所に 「清正井」 はあります。
井戸といっても貞子が出てくるような深い井戸ではなく、湧水が出ている穴と
いう感じでした。
近くまで行って水をさわることもできますが、飲んではいけないそうです。
でも、水晶とかパワーストーンを浄化するには湧水はかなり有効。
手をつけるのもいいですが、できるようだったら、水につけても大丈夫な
石や宝石であればパワーをチャージしてくれるので、同じ時間をかけるなら
そちらの方がオススメ。いわば銭洗弁天の要領ですな。
さて、そんな 「清正井」 ですが、明治神宮のオフィシャルサイトによると、
水温は15度前後と年間一定しており、毎分60リットルの水量があるとのこと。
加藤清正が自ら掘ったとされていますが、実際に清正が掘ったかどうかは
不明だそうです。
(http://www.meijijingu.or.jp/midokoro/index.html)
もともと 「清正井」 は都内のパワースポットとして、その方向の人たちの間では
有名でしたが、天皇関係の場所は事前に風水の善し悪しを調べてつくるだけに
パワースポットと言われる場所が多いようです。
皇居の 「本丸跡」 も地の気があふれているパワースポットとして結構有名。
皇居といっても、大手町からではなく、九段下から市ヶ谷の方に向かって
坂を上り、左手に曲がるコースが行きやすいと思います。
また、時間がある場合は、皇居の周辺、とくに半蔵門付近が風水的に良い場所と
されていますので、ちょっとお散歩してもいいのではないでしょうか。
友人の結婚式でも乾杯はほとんどしたことがない私。
それというのも結婚式のカメラ係を任されることが多かったから。
今日も西井新井大師の 「節分会」 には行きましたが、写真は撮っても、
福豆は取っているゆとりはなかろうと諦めていたのですが、
何と福豆が顔面直撃! メガネに引っかかったおかげで福豆GETです。
しかし、キグチコヘイさんのように、ソレデモカメラハナナシマセンデシタ。
私も撮影のため1時間以上前から場所取りはしたのですが、「庭儀」 という
野村元監督やサッチー、川中美幸さんといった著名人や、玉ノ井部屋の力士たち、
今年の年男・年女の方々が枡を持って境内を練り歩く 「練り供養」 を直前まで
撮影していたために、何とか人の頭を撮らないために端は押さえられましたが、
それほど前の場所ではなかったので、超ラッキーなことと言えるのではないでしょうか。
私の隣にいたおじさんは豆撒きの30分間、ずっと帽子を差し出していたのに
「今年も取れなかった」 としょんぼり。実際、そういう場所だったのです。
豆撒きの時は、大きな袋の口を開けて福豆を回収する行為は禁止となっているため、
隣のおじさんのように帽子でキャッチする人は多数見かけました。
西新井大師の場合、特設舞台の周辺はロープを張って警察官が固めているので、
一般の年男・年女の方が投げてくれる福豆は前のほうにいる人にしか届きません。
しかも2列目くらいからは、帽子でキャッチできる背の高い男性が断然有利。
それでも前の方にいれば、女性でも袋いっぱいに取れるようで、豆撒きが
終わった時に前の方から来たおばちゃんが、バレーボールくらいのサイズまで
袋をパンパンになるくらい取って、全く福豆が取れなかった人たちに見せつつ、
“福” をお裾分けしているのを目撃しました。まさに福豆集めのプロです。
そんな環境のもと、私のような後ろの者にまで、大きな手で大量の福豆をつかみ
力強く投げてくれたのが横綱・白鵬。もちろん、連写での証拠写真付き。
以前、白鵬の本名は 「幸運」 というような意味があると小耳にはさんだ気が
したので、Wikiで見たら 「ダヴァジャルガル」 が 「月曜日の幸福」 という
意味を持っているとのこと。
こんなネタのような出来事が起こって、2010年は何だかちょっといいことが
ありそうな気がしてきました。
いよいよ節分ということで、久々に西洋占星術で2月を見てみると、
一番特徴的なのは 「拡大・成長」 を司る惑星である木星様が先日から
魚座に入ったということが挙げられます。
ということは、魚座はもちろんですが、水の星座である蟹座や蠍座に
太陽がある人は全体運がアップ、水星がある人は仕事や人間関係が絶好調、
金星がある人であれば金運や恋愛運に良い展開がある “チャンス” が
天から降り注いでいるわけです。
しかも、「宗教」「奉仕」 といった性質を持つ魚座の木星ですから、
慈愛にあふれているのです。
逆に宗教的な気持ちを育んだり、奉仕の気持ちを行動に移す上でも
格好の時と言えるので、ぜひこの年替わりに一歩を踏み出してください。
一方、木星様に出ていかれてしまった水瓶座をはじめとする風の星座の
方々は、同じ風の星座である天秤座に 「制約・限界」 を司る惑星である
土星様がいるので、いろいろなことが何となく停滞する感じがあるかも
しれませんが、それはあなたのせいではありません。土星のせいです。
ですから、焦らないこと。
水瓶座にはまだ海王星があるので、現実が停滞していたら、海王星の
イメージ力を駆使して、今年の目標は自分の夢を見直すチャンスです。
また、10日頃には水星が水瓶座に入ってくるので、夢や想いを人に話したり、
仕事としてスタートしたり、そういったチャンスもやってくるのです。
また、太陽と金星が月末にかけて魚座に大移動するので、さらに
魚座パワーが強力なものになります。
一方、魚座と角度があまりよろしくない星座は、マイ射手座と双子座、
そして乙女座ということになります。
総合運としてはプレッシャーを感じることなども発生したり、水星があれば
仕事をやり過ぎてしまったり、金星があれば情熱的に盛り上がり過ぎてしまう
可能性もあるので要注意です。とくに射手座の人は、同じ火の星座である
獅子座に元気で行動的でケンカっぱやい火星が常駐しているので、つねに
平常心を心がけましょう。…って、自分だ!
さらに射手座は木星がルーラー(守護星のようなもの)なので、魚座の
影響は双子座や乙女座以上に強いと思いますが、謙虚な姿勢と
奉仕の精神で何事にも取り組むしかありません。私的にはタダ働きは
経済的にもやだな〜とか思っちゃってるんですけどね。
簡単にいえば、人のために動きなさいということなので、お金がなくても
できないことではなさそうです。
そして、何もいいことなさそうな火の星座の皆さんは一緒にあと1カ月待ちましょう。
3月の初めには金星が牡羊座入りするのを皮切りに、中旬には水星、下旬には
太陽が牡羊座に大集結します。さらにその時もまだ同じ火の星座の獅子座に
火星がいますから、仕事にも恋愛にも良い風が吹くに違いありません。
とくに獅子座の火星が11日あたりから順行(前向きに進む)ので、行動面でも、
彼氏との関係についても、順調な展開になるはずです。
なぜ木星でその年がわかるのか?
この木星という惑星は1年で1星座ずつ移動していきます。土星は1星座2.5年、
天王星が1星座7年、海王星が1星座14年、冥王星は動く気あるのかっていう
くらい動きません。まあ、正しくは1星座20年ですが…。
そういった意味で、社会的に誰にも平等にエネルギーを送る星座 「トランジット」
では、1年ごとに違う性質の星に移る木星が、その年の社会を占う星であるという
考え方もあるのです。
2010年は12星座最期の星である魚座を1年かけて進むので 「感情面、内省的、
とくに宗教的、スピチュアルな傾向」 が 「強化」 されますが、一転して、
2011年は12星座のスタートである春分の星座・牡羊座に木星が移るので、
牡羊座の特徴 「行動、情熱、幼さ」が木星によって 「拡大・強化」 される年に
一気に変わるのです。
ですから、風水の李家幽竹さんが2010年は 「浄化と再生」 の年とおっしゃって
いますが、彼女は四柱推命と気学でそういう結果を出したと思うんですが、
西洋占星術においても結果は大体同じなのです。恐るべし、古今東西の統計学。
と、ここまで紹介したのは、私たちを取り囲む 「トランジット」 という外から来る
星の影響。天からの恵みの雨がどこに降るかの “天気予報” みたいなものです。
それに自分の生年月日&出生時間から割り出した 「ネイタル」 のホロスコープを
付け合わせれば、効率的に行動したり、自分が気付かない視点でものを考えたり
することができますので、何か不安が生じた時やどちらを選択すべきか迷った時など、
ご自身の 「ネイタル」 のホロスコープを作成してみることをオススメします。
これまでも何度か紹介していますが、ホロスコープを無料で作れるサイトが多数あり、
使い方も私のブログ内で説明してあります。
(http://nureinmal.jugem.jp/?eid=374)
私などはウツな気分になっていた頃は、悪いことは全て星のせいにする技を
身に付けました。西洋占星術をやってよかったと思うことは、確かに星の位置から
どんなに自分だけが頑張っても実りがないばかりか、衝突に結び付くような時期も
あるので、それを受け入れるしかないということを知りました。
2010年は魚座の木星の年なので、他の年以上に自分自身を見つめ、受け入れる
アクションを起こすには最適な環境となっているのです。
各年のミッションをクリアしていると、自分の星に 「終わり」 の惑星である
土星が影響してきても、それほど大きな絶望感や葛藤などを起こさずに、
次のステップへと踏み出すことができます。
それでもミッションや自分が抱える課題が見つからなかったり、横着していたり
すると 「変革」 の惑星である天王星が 「あなた自身が変わらなければいけない」
とお尻を叩き、それでもダメなら数学の解法がわからない子に対するように
「イマジネーション」 の惑星である海王星が 「よ〜く、考えてごらん」 と
エネルギーを送ってくれます。それでもダメな場合は 「死と再生」 の惑星である
冥王星がガラガラポンして、前に押し出してくれます。
こういった流れとなるのも、土星と外惑星の進むスピードが異なるからで、
本当にこのホロスコープというものはよくできているなと感心してしまいます。
こちらをご覧になった方もぜひ自分のホロスコープで太陽星座だけでなく、
月、金星、火星、水星の動きを知ることで、生き易くなったり、生きる目標を
見つけやすくなると思いますので、ぜひお試しください。
とくに現在バレンタインデー前ということで、LOVEを知りたい方は自分の金星が
ある星座の占いを見たほうが、実際の状況と近いと思いますよ。
そういえば、以前、京都の寺之内通付近の今日庵や不審庵を散策していた時、
格子戸に柊と鰯の頭が掛けられていて、京都の風情を感じました。
と急に言い出したのは理由があって、先ほど急に西新井大師の節分会の
取材と撮影のオファーが入ったのです。
豆を撒くタイミング以外にどういったカットを撮影すればいいのか研究中。
ダメならお得意の “祭りで賑わう商店街” 落としでまとめてしまう手も
あるのですが、できればそれらしいものを撮りたいと考えています。
ただ、事前情報によるとかなり混みそう。頭の痛いところです。
節分については、四柱推命を勉強していた時に多少知識を得ることができました。
何といっても東洋の暦では節分が新年です。年の節を分けるから 「節分」。
単純明快な言葉と言えるでしょう。
また、豆を撒くのも 「豆=まめ=魔滅」 で、魔を滅する意味を持つからと
言われています。その魔とは鬼であり、悪いことが入ってくる方向 “鬼門” を
封じるために豆を撒くのです。“鬼門” の方向は丑寅(うしとら)の間なので、
鬼は牛の角を生やし、トラの毛皮のパンツを履いているのです。
そして持っている金棒は、陰陽五行では 「厄病」 などの象徴である
「金」であり、それを “退治てくれよう桃太郎” という訳です。
なぜ、節分に四柱推命という占いの話が出てきたかというと、節分は
四柱推命を学ぶ上で、基本中の基本ともいえる 「陰陽五行」 に深く
関連しているからです。先ほども鬼関連でちょっと 「金」 について説明
しましたが、陰陽五行説では全てが 「木」「火」「土」「金」「水」 という
「五行=五つの元素」 に分けられると考えられています。
西洋だとそれが 『フィフス・エレメント』 だったりするんですが…。
「木火土金水」 を続けて読む場合は 「もっかどごんすい」 と言います。
先ほどから書いていた 「金」 はそれなので 「ごん」 と読むのです。
それぞれの関係は、ジャンケンのようなルールがあります。
「木」は「火」に焼かれ、「火」は「土」で消され、「土」 は固まって「金」
になり、「金」は冷えて「水」が出る、「水」は「木」に栄養として吸われる
といった流れになっています。
また、「木」 は 「金」 に切られ、逆に 「金」 は 「火」 に溶かされます。
それぞれ一方だけが強いわけではないのが、四柱推命の面白いところでも
あります。まあ、『ONE-PIECE』 の悪魔の実の相性のようなものがあるのです。
さて、節分ですが、節分の大豆は固いことや五行の色などからも 「金」 に
該当します。そのため、豆を撒く前に大豆を炒るのは 「金」 を 「火」 で滅して
いるわけです。そして、私たちが豆を食べることで “鬼退治” 完了です。
さらに、豆を撒くことで、五行の 「木」 を助けることになり、春の気を助ける
ことから 「節分」 を 「春を呼ぶ行事」 とも言うのです。
また、宮中行事から庶民に広がった行事としては、節分の夕暮れ時に、柊の枝に
鰯の頭を刺したものを戸口に立てたり、寺社で豆撒きを行うようになったのです。
一般的には、豆まきはその年の干支を持つ生まれの人や、一家の主人が煎った
大豆を撒いて、家族は自分の歳の数だけ豆を食べると、その年は、病気にならず
長生きすると言われています。
昔は自分が少ししか食べられないので、たくさん食べることができる親が大変に
うらやましかったですが、今は自分の年の半分も食べた段階で、口の中が
ぼそぼそになってしまうほど…。福豆の嚥下で窒息して倒れるのだけはイヤ!
と、そういった基本知識と、さらに西新井大師に誰が豆を撒きに来るのかといった
リアル情報を入手して、撮影に良い場所を必ずGETしなければ!
当日は知識や蘊蓄よりも、混雑する群衆の中で自分の位置を確保するための
押しの強さが不可欠だと思われるので、金棒でも持って出かけましょうか?
友人が突然、映画 『かいじゅうたちのいるところ』 に行きたいと言い出し、
理由を聞いたら「加藤清史郎くんが映画の着ぐるみを着ていてかわいかったから」
と、いささか脱力のご意見を述べてくださったので、「あ、そ」 ということで
新宿歌舞伎町で鑑賞してまいりました。
最近はミラノが改装中ということや、ピカデリーやバルト9などのシネコンも
増えたせいか、以前よりも歌舞伎町の映画館は元気がないような気がします。
とはいえ、『かいじゅうたちのいるところ』 はさまざまな年齢層の人が集まって
なかなかの盛況でした。
原作はモーリス・センダック氏による絵本で、絵も氏の手によるものです。
1963年に出版された絵本なので、例にもれず、私も昔読みましたが、
トロルなどの絵には慣れていたものの、主人公のマックスにどうも感情移入できず
あまり好きにはなれませんでした。文章の量も少ないので、今回はそれを
長編映画にどのように仕立てるのかが知りたいと思い、観に行ったのです。
マックスがオオカミの着ぐるみを着て大暴れして、母親に叱られて食事抜きを
告げられ、船に乗ってかいじゅうがいる島に行くところまでは、映画では
マックスがどうしてイライラしてしまっていたのか、家族関係や彼の性格なども
丁寧に描いてあり、年の少し離れた姉が登場していました。
また、マックスはお話を作るのが上手なことや、母親に恋人がいるといった
エピソードが挿入される反面、部屋がジャングルになったりする幻想シーンは
カットされ、私の一番の興味であった忘れもしない 「1年と1日」 かけて
かいじゅうのいる島に着くくだりは、何となく1昼夜というイメージに変えられて
いました。カモメに石を投げたり、魚を釣ったりするとか、ヨットの上で
仙人の術に開眼し霞を食って生きる術を身につけるといった、ヨットでの
冒険談&サバイバルは膨らませず、さらりとかいじゅうの住む島に辿り着いて
しまい、私としてはちょっと残念です。
絵本では一人ひとりの性格まで詳しく書かれていないかいじゅうですが、
映画ではキャロルやKWといったそれぞれ名前もあり、それぞれの立ち位置や
かいじゅう同士の親しさが異なり、それまで信頼関係を築いてきた経緯もあり、
その複雑な関係に翻弄されつつも、自分の住む場所を模索するマックスが
描かれています。そしてマックスもかいじゅうたちも “孤独” を抱えています。
王様になるのは絵本と同じですが、単に王様になって歌い踊って楽しむ絵本より
マックスの心理面も描かれ、かいじゅうたちが求める王様にはなれないことや、
みんなを幸せにするのは難しいことを知ることで、彼自身は大きな成長を遂げます。
絵本は森のシーンがほとんどですが、映画では海辺や砂丘など、自然がいっぱいで
そこに単なるCGではない着ぐるみ感たっぷりのかいじゅうたちがいる様は、最近、
PCの中だけで作られた生物ばかり見ている私たちにとって、ちょっと和む存在。
周囲の情景が、夜11時以降のドラマに出てくるような “空き地” 風なのも
何だかアナログっぽくて気楽に観られる感じ。
最後はまたヨットで帰って行くのですが (本来は1年と1日かかって)、
買える間際の 「食べちゃいたいくらい好き」 というかいじゅうのセリフも
絵本とは違う深みを持ったセリフとなっています。
そして、絵本では母親と再会しませんが、映画ではしっかりと再会。
マックスが何日間、いなくなっていたかは曖昧なまま、母親は詰問するでもなく
ただ抱きしめるシーンが印象的でした。
そして、エンディングの「All is love」が繰り返しかかり、映画でのまったり感に
加えて、1/f ゆらぎ状態でとろとろしてしまったのでした。友人も同じ感想でした。
「すごい感動作」 とは言えませんが、「不思議な後味」 を持つ、意外と大人の
映画に仕上がっている気がしました。
食べられないほど嫌いなものや、アレルギーがあって食べられないというものは
全くありませんが、あえて自分でお金を払って食べたくないと思うものとして、
「たぬきうどん」「クリームソーダ」 があります。
「たぬきうどん」 は何といってもグズグズに溶けた揚げ玉が気持ち悪くてダメ。
そのため、ほとんどの場合、冬は 「きつねうどん」、夏は 「きつねそば」 を
食べています。
それと同じような理由で、アイスクリームとソーダーがグズグズに溶けた状態に
なって、せっかくきれいなグリーンがどろんとしてしまう 「クリームソーダ」 も
どちらかというと喫茶店では選びたくないメニュー。
透明水彩絵具のクリアな世界から不透明水彩絵具のベタッとした世界に変化する
だけでなく、公害で汚染された沼のようにプツプツと泡が出るのも見ていて
ちょっと気持ち悪くなったこともあります。
そんな私が取材の流れで飲まざるを得なくなってしまった 「クリームソーダ」。
ところが、泡の出かたといい、アイスの溶け方といい、飲み口といい、どれも
GOODな 「クリームソーダ」 だったのです。
極端な私はもう一杯飲んでもいいと思ってしまったほどです。
そのお店は東京メトロ・東西線の 「南砂駅」 から歩いて15分くらいの場所にある
昭和テイストが残り、毒蝮三太夫がリポートに来そうな 「砂町銀座商店街」 の
通りにあるお店です。
お店の名は 『銀座ホール』 といって、ドアの屈折ガラスからこぼれる温かみの
ある光がどこか懐かしく、足を踏み入れれば昭和にタイムスリップしてしまったと
思えるほどのレトロムード満点のお店。「食べログ」 の写真もステキです。
(http://r.tabelog.com/tokyo/A1312/A131202/13018064/)
壁やテーブルに懐かしのタイルが敷き詰められ、タイルで冷たい雰囲気かと
思いきや、裸電球や青みが勝った窓の光で、それらのタイルに温かみを感じられる
お店なのです。もちろん、壁に貼られた一枚一枚手書きのお品書きの超達筆さも
人の手によるぬくもりを感じさせてくれ、店全体のアットホーム感には効果的な
アクセントとなっています。
『銀座ホール』 は創業から約70年という地元の老舗。屋台からスタートし、
現在の地に店を構えたそうです。
『銀座ホール』 と命名したのは、大正ロマンの頃、カフェの代名詞ともいわれた
「ミルクホール」 と 「砂町銀座商店街」 から取ったものだとか。
店内の雰囲気はそんなお店のコンセプトそのままです。
「クリームソーダ」 はアイスが入ったコップと、グリーンのソーダ水が出され、
自分でソーダを注ぎます。水が入っているプラスチック製のカップも濃いブルーで
グリーンとブルーがタイルのテーブルに映えます。ソーダ水を注ぎ込み、プチプチと
アイスからも泡が出る様子も美しく、食べてみるとアイスクリームは思ったよりも
さっぱりしていて、ソーダ水に混ぜてもグラスの口からぶくぶくと溢れるほど泡も
出なかったので、心静かにクリームソーダーの撮影および飲みを完了することが
できたのでした。同店には、この 「クリームソーダ」 をはじめ 「ソーダ水」「ラムネ」
といった “懐かし飲料” と、それにぴったりの背景が用意されています。
さらに食事の方でも、3種類の焼きそばやボリューム満点のかつ丼など、食べると
具材を厳選していることがしっかりと伝わってくるお料理でした。
野菜もふんだんに使ってあってヘルシー。どのメニューも毎日食べても飽きない
タイプの美味しさです。ちなみに私が頼んだ 「砂銀あんかけ焼きそば」 の具材は
ちょっと数えただけで17種類。自分でこれだけの材料を揃えたら、この値段では
つくれないでしょう。リーズナブルでもあるのです。
もともとは甘味を中心にスタートしたというお店だけに、「あんみつ」「みつ豆」
「自家製寒天と餡子のクリームあんみつ」といったメニューも捨てがたいですが、
夏でも売っているという大判焼のような 「巴焼き」 も一度は試してみたいと
思わせる餡子の出来でした。
今度訪れた時には 「巴焼き」 はもちろん、庶民的な「ソース焼きそば」か、
ラーメンでは3番目の人気という 「美空ーめん」 にぜひともチャレンジして
みたいと考えています。