丸ノ内線&銀座線の記念乗車券 in 昭和

2017.10.11 Wednesday 03:50
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    昨日の件から、父が捨てる物は検閲してから廃棄する
    ことに決めた私。聖徳太子のお札でも挟まっていれば
    嬉しいのですが、そういったものはなさそうです。

     

    ただ、帝都高速度交通営団の記念乗車券が出てきました。
    今は 「東京メトロ」 という社名になってしまいましたが、
    舌噛みそうな 「帝都高速度交通営団」 という名称は
    どこか古めかしくて(実際、戦前からの名称)好きでした。

     

     

    1枚は昭和31年(1956年)の 「東京開通記念乗車券」。
    これまたひと目では意味がよう伝わらんネーミング。
    もともと、東京都内を走っていたのに、何を今さら
    「東京開通」 と思ったら、正しくは 「東京駅」 まで
    開通したという意味でした。

     

    池袋の方から地道に造り続けた地下鉄が、1956年の
    3月には御茶ノ水〜淡路町間が開通し、7月には
    それが東京駅に到達した、『黒部の太陽』 的な喜びが
    表現されているという訳です。

     

    でも、ベースから―はダルトーンであんまり嬉しく
    なさそうな上、中央の建物のパースがメチャクチャで
    プロの仕事と思えません。建物のイエローとマゼンタとの
    版ズレが目立たないための工夫かもしれません。

     

    池袋から東京まで16分というスピードは、今も更新
    されていないようで、「駅すぱあと」 でチェック
    してみたら、丸ノ内線の池袋・東京間は2017年現在も
    16分。そのくせ、料金は10倍の200円になっています。

     

    私がよく利用する荻窪周辺に比べ、その名の通り、
    丸ノ内線の主役は 「東京駅」 であることを実感
    させられる1枚です。

     

     

    もう1枚は、昭和43年(1968年)の 「銀座線60両更新
    記念乗車券」。サブタイトルには 「地下鉄最初の車両
    さようなら」 と1000形車両も描かれていて、この古い
    車両が引退しても60両なのか、旧型車両の引退はおまけ
    なのか、訴求ポイントが曖昧です。

     

    ただ、この1968年は年末にそれまで東京の地下を独占
    していた 「帝都高速度交通営団」 のライバルとなる
    「都営地下鉄6号線(都営三田線)」 が年末デビュー
    するとあって、「東京開通記念乗車券」 の方は単に
    「地下鉄」 とオレ様表記していましたが、こちらは
    社名が入っているのがポイントと言えるでしょう。

     

    まさに 「東京の地下交通が変わる!」 と言っても良い
    エポックとなる年なのでした。

    とか書いてたら、1958年の電車往復乗車券が出てきて

    マンホール…じゃなく、古い東京都のマークの券まで

    出てきちゃったよ! 都営地下鉄がないってことは、

    都電ってことでしょうか? もう少しカテゴライズした

    収集に努めてほしかったぞ、父。捨てるのは惜しいので

    ちまちまと廃棄前のサルベージをするしかなさそうです。

     

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    「東京鉄道管理局」 発行の国鉄記念乗車券

    2017.10.10 Tuesday 23:32
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      溜め込み気質の父もようやく観念したのか、少しずつ
      いらない物を捨てる気になってきました。遅い!

      生きてる内に、捨てるもんはさっさと捨ててくれ!

       

      重い物も多数あるので、結局、運ぶのは私です。

      えっちらおっちら、廃棄用収集物を運んでいたら
      はらりと紙が落ちました。なんとそれは旧・国鉄の
      切符で、東京から名古屋までの乗車券。

       

       

      名古屋からの切符ならまだしも、どうやって名古屋駅の
      改札を出たのか、その高度なキセル技術に驚きました。

       

      切符の裏には、「鐵道規則堅可相守者也」 という
      中国語かと見まごう文字列があり、要約すれば
      「無賃乗車じゃないよ」 ということみたいです。
      いかにも、日本国有鉄道的な “官” を感じる風格が

      あると言えなくもありません(笑)。

       

      日付だけ入っていて、いつのものやらわかりません。
      ただ、初乗り10円の時代と思われるので、150円という
      ことは、初乗り料金のたった15倍で名古屋に行けたのに
      対して、現在の東京・名古屋間は6260円。JRの初乗りは
      140円なので、名古屋までの交通費は昭和30年代よりも
      高い約44倍ということになります。
      「のぞみ」 に乗ればもっと高く…って名古屋をスルー
      するものあるし。

       

      京浜東北・山手線(田町▶田端間)複々線開通記念乗車券

       

      年度が入っていない切符ですが、初乗り10円の時代の
      物だと予想されるのは、それが挟まっていたページに
      ドドーンと「京浜東北・山手線(田町〜田端間)
      複々線開通記念乗車券」 が貼り付けられていて、その
      切符が 「10円区間」 となっていたからです。

       

       

      ネットでも確認したら、昭和31年の初乗り料金は10円。
      なんと、26年から41年2月までの15年はずっと10円
      だったのでした。そりゃ、国鉄の赤字、貯まるがな。

       

      私の中の基本情報としては、山手線は東北線との関係で
      池袋駅〜田端駅間が最後につながったということくらいで、
      もともと田町と田端はつながっていたはずなのに、なんで
      記念乗車券を発売しちゃうくらい喜んでいるのか、理由が
      わかりませんでした。鉄ちゃんではないので、あくまでも。
      そう、交通インフラの歴史的な興味です。

       

      鉄道関係はネット情報があまりに多いので、無難にWiki。
      簡単に答えは見つかり、それまで田端駅〜田町駅間は
      京浜線と山手線が共有していたのが、旅客の増加に伴い、
      複々線化して、2線が分離でき、インディペンデンスな
      ことを祝っていたのでした。その機会に、京浜線が
      京浜東北線に改名したのはスルーされていました。

       

      そして、ちょっと気になったのが、この記念乗車券を
      発行しているのが、国鉄ではなく、東京鉄道管理局で
      あること。また、Wikiを見たら、国鉄の事務部門的な?
      列車を走らせるのが偉くて、PRの重要性は軽視している
      時代の空気も、微妙に漂ってきた気がしました。

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      体系的に理解できる 「軍艦島デジタルミュージアム」

      2017.09.20 Wednesday 02:45
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        全身、出航前の桟橋でずぶ濡れだったので、いったんホテルに

        戻ってから、ホテルからも近い 「軍艦島デジタルミュージアム」

        に行って来ました。うっかり、船のチケットを忘れたのですが、

        リストでチェックしてくれて入場できました、てへ!

        http://gdm.nagasaki.jp/

         

         

        『長崎堂』 というカステラ屋さんと、ミュージアム
        1階のショップがつながっていて、まだ3人が退所して
        いかなったSMAPの 「夜空ノムコウ」 が流れていたのが
        印象的でした。

         

         

        雨のせいで服が1日分足りなくなったので、軍艦島
        Tシャツをウキウキと買いました(笑)。

         

         

        2階からが展示室となっていて、まずは2階への階段横に
        軍艦島の位置や、次第に施設が増築されていく様子が
        わかる写真が並んでいます。

         

        1810年に石炭が発見され、1890年に三菱合資会社の経営と
        なって、海底炭坑として操業が開始された歴史なども
        ざっくりと説明されていました。

         

        (空撮や島民が持っていた白黒写真などが映し出される)

         

        2階フロアの正面は、全長30メートルのスクリーンに
        軍艦島のイメージ画像や、当時の生活を知る約3000枚の
        写真や、廃墟になってからのドローン映像のような
        動画が映し出され、見応えあります。説明してくれるのは
        元・島民の方でした。

         

         

        島民が写っている日常写真は、当時の熱さや、炭坑という
        大変な仕事ではあるものの、最新家電などの “モノ” に
        恵まれて幸せそうな人々の笑顔に溢れています。

         

         

        運動会やお祭り、組合運動で賃金が上がった嬉しそうな顔。
        今でこそ、労働環境が重視される時代に成長しましたが、
        あの時代は “そういう時代” だったのだなあと。

         

         

        そのすぐ左側には 「採炭現場への道」 という立体映像が
        あって、今はもう入れない炭坑の坑道へ行く雰囲気を
        体感できます。まずはケージで約600メートル降りて、
        そこから次々と各坑道に分かれていく様子がリアル。

         

        トロッコは前のめりにならないよう、後ろ向きに乗ると
        知りました。インディ・ジョーンズのように乗るのかと
        ばかり思っていたので、目からウロコ。
        また、8時間3交替の流れは、破砕(ハッパ)、採掘、
        運搬という工程だったことも、映像の途中、説明が
        入っていました。

         

         

        さらに、その隣には軍艦島のアパートを再現した部屋が。
        自由にあがることができ、ちゃぶ台の上のノートは
        感想を書くためのものです。

         

         

        3階に上がると、右手に 「シマノリズム」 という
        軍艦島全体のジオラマもあって、そこに朝昼晩の
        人の流れがプロジェクションマッピングになっており、
        小さな島が生きているようでした。

         

        (たぶん、ここにいた時間が一番長いww)

         

        そのほか、元島民の言葉と映像、2016年版軍艦島VRの
        コーナーも。島の立ち入り禁止区域をゴーグルをして
        VRで進むアトラクション。Googleストリートビュー
        以上のリアリティに、かなりの時間、見まくり!

         

        3階館内にずっと不思議な音が流れているなと思ったら
        島で最後に造られた建造物である体育館の模型と、
        これまでどのように壊れていったかがわかる動画が
        ブラウン管テレビから繰り返し流されていて、その
        ガラスが割れたり、天井が落ちる音だと気づきました。

         

        閉山の噂で、島民の流出が始まった頃、その噂を払拭
        するために造られたという悲劇の体育館は、今や躯体が
        かろうじて残っている状況です。

         

         

        そして、4階にあるのは1つだけ。
        かつて軍艦島の1号棟であった 「端島神社」 です。
        入場料を払っているのに、ちゃっかりお賽銭箱まで
        置かれていましたが、軍艦島保存に少しでも役立てば
        と一応寄付のつもりでお賽銭を入れてきました。

         

        正面に石炭が飾ってありましたが、たしかにキラキラと
        ダイヤのようにきれい!

         

        そういえば、小学校の低学年の頃、石炭ストーブで
        冬は日直がバケツに石炭を入れて運ぶという仕事が
        あった覚えがあるのですが、こんなにきれいじゃなくて
        もっとザラザラしていたような気が…。
        あれは何だったのだ? クズ石炭だったのかな?

         

        で、「軍艦島デジタルミュージアム」 ですが、
        体感型のコーナーも多く、体系的に軍艦島の歴史や
        当時の生活を知ることができ、見学では行けない
        エリアの様子も楽しめるので、行って損はないと
        思いました。“廃墟のみ” が好きな人にはあまり
        響かないかもしれません。

         

        【関連記事】

        ◇Google撮影と4年差とは思えない 『軍艦島』 の劣化
         (http://nureinmal.jugem.jp/?eid=3301

        ◇『軍艦島』 西側は船上から
         (http://nureinmal.jugem.jp/?eid=3300
        ◇本日天気最悪なれども波負かし、軍艦島上陸!
         (http://nureinmal.jugem.jp/?eid=3289

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        龍馬にゆく!〜亀山社中編〜

        2017.09.13 Wednesday 01:47
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          風頭山の伊良林には、「亀山社中記念館」「亀山社中資料展示館」

          の2つがありますが、実際に 「亀山社中」 があったのは記念館の方。

          また、「亀山社中資料展示館」 は個人が運営しているそうで、

          土日しか開館していません。まあ、土方さんの生家みたいな感じ?

           

           

          ようやく、「風頭公園」 の東側まで下りていくと、
          伊良林という集落があり、「龍馬通り」 という
          それなりに整備されているけれど、坂と階段が多い
          道を行くことに。

           

           

          道の途中には 「亀山社中」 の隊士たちのイラスト入り
          看板があって、おそらくこちらはNHK 『龍馬伝』 前から
          設置されているものではないかと予想されます。

           

          「亀山社中記念館」 に行くためには、路面電車を
          利用して 「新大工町」 で降り、寺町の外れから入って
          いくつもの墓場を通る上り坂コースと、私のように
          体力温存を重視する 「風頭公園」 からの下り坂
          コースがありますが、それでも結構上ったり下りたり、
          坂が続く道のりです。

           

          (「亀山社中記念館」 には左の方へ進む)

           

          「亀山社中」 があった場所に建てられている、長崎市立
          「亀山社中記念館」 は 「風頭公園」 から約300メートル
          の場所にあります。上り坂コースの人のために、通りの
          横には所々、休憩用の 「休石」 が設けられています。
          クマはナップザックの中にいて、疲れてもいないくせに
          おすわりしていました。

           

           

          「亀山社中記念館」 は思った以上に小さい建物でした。
          部屋は10畳・8畳・3畳の3つで、廊下もありましたが、
          そちらは改装の際、新たに造られたものだと記念館の方が
          教えてくれました。
          http://www.city.nagasaki.lg.jp/kameyama/index2.html

           

           

          こちらに訪れる人は、結構コアなファンが多いらしく、
          ある程度、龍馬についての基本がわかっている人に
          ちょうど良いレベルの情報を提供してくれます。

          龍馬の時代から残っているものは何かも説明してくれました。

           

          庭の池を撮影しようと思いましたが、それは当時あったのか
          どうかは怪しいと言われました。

           

          小さな庭からは、長崎の港が見下ろせ、グラバー園のある
          大浦の方まで見渡すことができます。うーむ、感慨深い。

           

          (窓側の鴨居の上には隊士たちの名前が並ぶ)

           

          10畳の部屋の床の間については、以前に改装した際、
          龍馬の時代の設計図が出てきて、現在の場所にあったことが

          わかったので移動したそうです。

           

          龍馬の羽織やブーツ、刀などの展示品は全て複製。
          複製品が多いのは、古い建物だし、セキュリティ的にも

          致し方ありません。

           

           

          改装前は床の間があったという場所には、現在、龍馬の
          写真の中でも有名なやつがぶら下がっており、畳には
          手持ち用の刀も置いてある写真コーナーです。
          龍馬と同じように台に肘をついて写真が撮れますが、
          クマすわってるし…。

           

          台の高さも忠実に再現したのか確認しましたが、そこは
          微妙なようでした。龍馬の身長的にはもっと高めでは。

           

          私の他にも九州を自転車で回っているという大学生が
          見学に来ていたので、そちらの人には、当時の撮影は
          時間がかかったことなど話していて、私もおしろいとか
          塗って顔を鮮明にしていたんですよね〜みたいな雑談を
          してきました。

           

           

          写真コーナーの横はもう一つの部屋への入り口になって
          いて、奥の部屋には屋根裏部屋がありました。

           

          龍馬の書簡の複製の展示や、長崎での活動についての
          説明、そして土間の跡はガラス張りになっており、
          リニューアル工事の時に出土した物(本物)を、
          床のガラス越しに見ることができます。

           

           

          屋根裏への梯子は上ってOKで、隊士たちや火鉢が置いて
          あって、「亀山社中記念館」 の中では一番リアリティが
          感じられました。脱藩者でお尋ね者だし、武器商人みたいな
          (“みたい” じゃないけど)ことをやっていたわけなので、
          屋根裏に潜伏したこともあるかもしれません。
          天井までが近く、180センチ近かった龍馬だったら
          かがんでしか歩けなさそう。

           

          こちらの屋根裏を見ていたら、福山にあるという龍馬の
          潜伏先にも行きたくなってしまいました。
          そうすれば、ほとんどクリアなはず。

           

          で、ネットで 「龍馬 福山」 で検索したら、出ねえ!
          福山雅治さんの名前しか上位に出ねえ!

           

          やむなく 「いろは丸 潜伏先」 で調べたら、やっと
          福山市鞆の浦の 「いろは丸展示館」 が出ました。
          そちらに行くと、いかにも潜伏していたという雰囲気を
          醸している蔵の展示館になっていると、龍馬ファンの
          友人が言っていました。
          http://www.tomonoura.jp/tomo/irohamaru.html

           

          (二曳旗は、本物の 「海援隊」 の旗です)

           

          入り口近くは、龍馬関係の本や展示館グッズが売られて
          いて、さらには受付の後ろはこちらに来館した有名人の
          色紙も飾られていました。福山雅治さんはもちろん、
          『龍馬伝』 で海援隊隊士だった要潤さん、そして、
          龍馬関係の施設には必ずと言っていいほど登場する
          武田鉄矢先生は、記念館の名誉館長として目立つ場所に、
          サインを入れた二曳旗でドドーンと。もう何も言うまい。

           

           

          「亀山社中記念館」 を出て、そこからすぐの場所に
          ある 「龍馬のブーツ」 像の所で、港を見下ろしながら、
          自販機の飲み物を飲んでいたら、「新大工町」 から
          坂を上がってきたというご夫婦や、最近なぜか急に
          龍馬ファンになったという埼玉の方とお話ししました。

           

          山の中だし、人は少ないし、坂道をひと休みしたいし、
          どうせここに来るのは歴史好きだし…ということも
          あってか、誰もが何となく会話してしまうのでした。

           

           

          「龍馬のブーツ」 像は、ブーツに足を突っ込んで、
          舵を持って撮影してよいという、新しいスタイルの
          体感型オブジェだと説明が誇らしげに書かれていました。
          港の方に向かって、龍馬な気分を味わえます。

           

          向かいの山には、諏訪神社の社殿も見えます。
          長崎でも屈指のパワスポなので、晴れたら行こうと
          思っていたのですが、ジリジリする暑さと勾配を
          見たら、ちょっと逡巡するものが…。

           

           

          どちらにせよ、500円で路面電車乗りまくりできる
          乗車券を買っていたので、「新大工町」 まで
          下りるしかありませんでした。
          http://www.osuwasan.jp/

           

          【関連記事】

          ◇龍馬にゆく!〜風頭公園編〜

          http://nureinmal.jugem.jp/?eid=3294)

          ◇龍馬の江戸生活に想いを馳せて…
          http://nureinmal.jugem.jp/?eid=488
          ◇立会川の 「坂本龍馬像」 と 「浜川砲台跡」
          http://nureinmal.jugem.jp/?eid=1303

          category:歴史 | by:まるたん | - | - | -

          「石神井」 の “石神” は剣だった!

          2017.06.23 Friday 23:43
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            意外と、難読地名に分類されるのか、以前は年賀状も
            住所の文字を書き間違えらえれることが多かった
            「石神井(しゃくじい)」 という地名。

             

             

            その由来となった神社が、あるのは知っていましたが、
            エリア情報の仕事の傍ら、あえて行こうという元気も
            なく、放置していたのですが、ついにその近くに行く
            取材が発生したので寄ってきました。

             

             

            鳥居をくぐってすぐの所に、「練馬区教育委員会」
            による説明板が設置されていて、それによると、
            「石神井神社」 の由来は古いがはっきりした記録が
            ないものの、「四神地名録」「新編武蔵風土記稿」
            といった江戸の地誌には 「石神の神社と号せる僅なる
            小社あり。神体は石にて神代より以前の石剣なり」 と
            記されているそうです。

             

            その石剣(せっけん)については諸説ありますが、
            三宝寺池から出現したという記録もあるとのこと。

            三宝寺池は、武蔵野三湧水の一つでもあるので、
            そんな湧き水(井戸)から出た石剣ということから
            「石神の井」 という地名につながったようです。

             

            石剣は、今も 「石神井神社」 本殿の奥に御神体
            として奉祀されているそうです。

             

            (そこにいて、何を守っているのだ、狛犬!)

             

            御祭神は少彦名命で、参道の右手には稲荷神社が
            ありました。そして、左手にはなぜか並んで狛犬が。
            もともとは参道を守っていたのかもしれませんが、
            ちょっと不思議な光景です。

             

             

            濃いブルーのアジサイも咲いていたので、やや
            寂しげな神社でしたが、少しだけ境内の華やぎが
            添えられていました。

             

            “石の神様” だとは予想していましたが、石剣
            だったという点はちょっと意外。
            鉄じゃないってことは、縄文時代?

             

            「石神井」 の名の由来はわかったものの、新たに
            石剣の謎が生まれてしまいました。

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            『風光る』 の徳川慶喜に関する解釈が面白い!

            2017.05.28 Sunday 04:24
            0

              5月にふさわしいタイトルの 『風光る』(渡辺多恵子著、
              小学館刊)。記念すべき40巻は、なんと連載20年と重なり、
              めでたいですが、最初から読んでる私もそれだけ年取った
              ということでそっちはあまりめでたくありません。

               

              40巻は、私が幕末史で気になる、鳥羽伏見の戦い後に
              敵前逃亡する慶喜の心理描写。

               

              同作品は、背景の一つひとつに至るまで、詳細な調査や
              取材を経た上で書かれており、新選組のメンバーだけで
              なく、当時の施政者の思惑なども、数々の資料の中から
              渡辺多恵子さんが選んで、人間像を構築してあって、
              これまでの新選組作品の中でも秀逸な作品です。

               

              もともと幕末と戦国時代は、司馬遼太郎作品の影響を
              受けていることもあり、『最後の将軍 徳川慶喜』 と
              いう作品はあるものの、司馬氏自身はあまり慶喜の
              ことが好きではないような “司馬史観” ならぬ
              “司馬私観” が私のベースになっていて、『風光る』
              での慶喜に対する扱いが楽しみでした。

               

              逃亡劇の部分は、どちらかというと、どのように
              会津公らをだまして、榎本武揚の軍艦をぶんどって
              江戸にもどるかの駆け引きがコミカルに描かれて
              いましたが、江戸に戻り、小栗上野介を罷免する
              シーンが印象的でした。

               

              上野介が慶喜に、日本の背骨は武士道であり、薩長軍
              への迎撃を進言するのに対し、重ねて 「それでは
              武士でない民は何か」 と問い、それに 「徳川家」
              だと答えた上野介に、「――驕ったものよのう」
              と肩越しにつぶやくシーンは、徳川慶喜のその後の
              行動の理由を端的に表していたように思われます。

               

              新キャラ・榎本武揚がイイネ!

               

              全巻から登場していましたが、榎本武揚(釜次郎)と
              その後、戊辰戦争を共にする土方歳三との出会いも
              40巻の見どころです。

               

              榎本武揚と土方歳三については、司馬作品よりも
              阿部公房の 『榎本武揚』 が私のベースになっており、
              海外の知識を持ち、列強諸国の中での俯瞰的な視点を
              持ちながらも北海道に独立国を作ることを目指した
              榎本に対し、幕府への忠誠のみの情でつっぱしる
              土方の広い視点がないからこそピュアな生き様が
              浮き彫りになっている作品で、やや辛辣な評価も
              ありますが、これはこれで好きな作品です。

               

              『風光る』 に登場する榎本は、江戸っ子の陽気さと
              知性を兼ね備えた人物として描かれており、さりげに
              ふれられていた、18万両の徳川家の千両箱エピソードに
              思わず、糸井重里さんや林先生が取り組んでいる
              徳川埋蔵金が頭をかすめました(笑)。

               

              ちなみに、大がドラマ 『新選組!』 で、山本耕史さん
              演じる土方と、草なぎ剛さん演じる榎本とのワンシーン
              が妙に印象的。洋装について榎本に問うシーンでしたが

              草なぎくんセリフなし、だったと思います。

               

              大河ドラマは、近藤勇が主人公だったので、そこで終わり
              だったのですが、後に製作された、いかにも三谷作品
              らしい舞台劇のような 『新選組!! 土方歳三 最期の一日』
              では、榎本役が片岡愛之助さんに変更になっていたのは
              ちょっとばかり不満。

               

              とはいえ、土方が近藤勇亡き後、榎本が持つ夢に共感し、
              ただ死に場所を求めて戦っていたのではないという
              脚本には好感が持てました。

               

              土方登場の 「待たせたな」 のセリフは、新選組の
              終わりは、近藤勇の刑死ではなく、土方が戦いを
              全うしたその時だと考える私には満足いくものでした。
              三谷作品らしい、視聴者サービス丸出しでしたが(笑)。

               

              少女漫画らしく終わってほしい

               

              今回は、本来のメインである沖田総司とセイが残り
              半年を切った期間に、子供を作るのかという点も
              いよいよ結論を急ぐ問題となってきましたが、
              土方が総司とセイをあえて引き離し、総司の見合い
              をお世話する隠れ見合い相手の女性を紹介したこと
              から、それがきっかけで総司とセイが結ばれる流れに
              なればいいなと。少女漫画なんだし、そうしようよ!

               

              さらに、総司は死んでしまっても、その子供を
              五稜郭で最後の決戦に臨む土方さんに会わせることで、
              土方さんが心置きなく最後の戦いに出陣できる展開で
              あれば大満足なのですが…。

               

              この作品だけは、単に風のように生きた剣士・沖田
              総司ではなく、娘盛りを棒に振って新選組隊士と
              して生きたご褒美を、ベタでもセイにそれなりの

              女子としての幸せを残してあげてほしいなぁ。

               

              【関連記事】

              ◇いよいよ総司が本格発病の 『風光る』 33巻
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              ◇余命半年に突入した 『風光る』
              http://nureinmal.jugem.jp/?eid=2237
              ◇土方歳三の愛刀が見られるのは今だけ!
              http://nureinmal.jugem.jp/?eid=78
              ◇土方歳三生誕の地・石田を歩く
              http://nureinmal.jugem.jp/?eid=1873

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              「きよしこの夜」 がより感動的になる逸話

              2016.12.15 Thursday 23:26
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                クリスマスに歌われる 「きよしこの夜」 の逸話が
                好きです。何となく神様の導きが感じられます。

                この歌が作られたのは、オーストリアがナポレオン
                戦争で疲弊していた1818年。

                 

                事情は諸説ありますが、クリスマスだというのに
                教会のオルガンが壊れていたので、何か新しい
                讃美歌を聖夜に捧げようということになり、教会の
                副司祭が歌詞を書き、オルガン奏者に曲を依頼して、
                降誕祭のミサでは、副司祭とオルガン奏者がギターで
                歌ったのが始まりとか。

                 

                小さな寒村の教会で歌われたこの歌を偶然ドレスデン
                から来ていた大工(キリスト教っぽい)が聞いて
                感動し、それをドレスデンに持ち帰ったところ、
                この清らかな旋律が人々の心を打ち、ドレスデン発
                として、ヨーロッパ全土に拡がったのです。

                 

                寒村・オーバーンドルフの教会堂は、それから後、
                洪水に流され、ドレスデンも第二次世界大戦で
                フラウエン教会をはじめとする建物の多くが
                破壊されてしまいました。

                 

                しかし、オーバーンドルフの教会跡には、記念の
                小礼拝堂が建てられ、フラウエン教会も2005年に
                元の石材をできるだけ使って復活。

                 

                時代の流れの残酷さと、人間の復興への意志力に、
                さまざまな困難は全て神様の試練なのではないかと
                思わずにはいられません。

                 

                「きよしこの夜」 が作られた背景や経緯を知ると、
                あの歌声がさらに清らかに心にしみわたっていく
                ような気がします。
                神に捧げるために作られた歌ですが、本当は
                神様が人間に与えてくれた歌なのかもしれません。

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                砧線・デハ71運転台がある 「玉電と郷土の歴史館」

                2016.07.26 Tuesday 23:07
                0

                  二子玉川駅から徒歩約7分の場所にある 「大勝庵

                  玉電と郷土の歴史館」 にいそいそと行ってきました。

                   

                   

                  なぜ、歴史館なのに 「大勝庵」 という名前がついて

                  いるかというと、もともとはお蕎麦屋さんで、店主が
                  そのコレクションを飾っていたのですが、体調不良で
                  2011年にお蕎麦屋さんは閉店して、玉電に関する
                  グッズや昭和レトロなコレクションを博物館として
                  無料公開することにしたからなのです。
                  館外には、玉電のパンタグラフ、中耕地駅近くにあった
                  踏切の瀬田の敷支柱、排障機、砧線の鉄道柵などが
                  置かれています。入り口はまさにお蕎麦屋さんの風情。
                  入ると、右手には玉電の 「デハ71」 運転台が、当時の
                  姿のまま保存されていたのでした!
                  そのほか、前照灯、連結器なども常設展示されています。
                  そして、入ってすぐの左手には、玉電だけでなく、
                  東急系の電車のつり革がどっさりと並んでいました。
                  この下には、蓄音機や白黒テレビなどの昭和グッズも
                  置かれています。
                  どれが新しいのか、古いのか、時代順に並べてみたい
                  という誘惑に駆られるのは私だけでしょうか?
                  小さな博物館なこともあって、3歩進めば今度は
                  駅名からJR線のものと思われる、昔懐かしい切符が!
                  子供用もあったり、当時の運賃がわかって楽しいです。
                  再び右手に目を戻すと、運転台が置かれている壁の裏には
                  駅名看板や駅構内に貼られていたと思われるプレートが。
                  行先表示板もありました。
                  プレートに近づいて見てみると、「押売・物乞い御断り」
                  と書かれており、時代を感じさせます。
                  物乞いはわかるけれど、駅でどうやって押売りしたのか
                  よくわかりませんが。キャッチセールスみたいなもの?
                  そして、奥の方には元・店主で今は館長となっている大塚さんが
                  これまで収集してきた2000点というグッズの一部が月ごとに
                  テーマが決められて展示されています。
                  いわゆる企画展のようなものです。現在は、夏の季節に
                  合わせてか、ビールのラベルが飾られていました。
                  その棚の上には、鉄道と坂にかけては私のはるか先を行く
                  タモリ大明神のステッカーが!
                  『ブラタモリ』 の二子玉川コースの際に紹介された模様。

                   

                  個人的には、別に鉄道と坂を追いかけているつもりはない

                  のですが、最近、震災の影響もあって高台の物件関係の
                  エリア情報や、なんとなく鉄道関係の施設の取材が増えて
                  いるので、そこのところは一応、誤解のないように。
                  最近では、さまざまなメディアで紹介されることも増え、
                  地方から来館する人も増え、さらには鉄道関係の物なども
                  持ち込んでくれる人も増えたそうです。
                  お金も物も、集まる所に集まる性質を持っているんですね。
                  向かいのケースには鉄道模型や、駅員さんの腕章などが
                  飾ってありました。
                  「車掌」 の腕章はわかりますが、「乗客専務」 と
                  「旅客専務」 の違いがイマイチわかりません。
                  短い路線と長い路線の違いでしょうか?
                  そして、その棚の上段にはポストグッズのコレクションが
                  並んでおり、さらに棚の上に置かれたケースの中には
                  玉電(世田谷線)の塗りが飾られていました。
                  かの中島誠之助さんが来館された時、鉄道モチーフは
                  めずらしいものだし、「いい仕事をしている」 と評価して
                  くださったそうです。
                  私も、車両の絵柄の塗り物は初めて見ました。
                  来館者の約6割が鉄道ファンということもあって、館長が
                  お蕎麦屋さん時代に出前で、駒沢―上野毛乗務区の職場に
                  行った時の話や、デハ71運転台を設置するまでの経緯や、
                  玉電関係のスクラップブックなども気さくに見せてくれます。
                  じっくり見ていると、昔の物からいろいろな謎や興味が
                  広がっていくような、そんな小さな博物館。
                  西郷さんではありませんが、小さくたたけば小さく、
                  大きくたたけば大きな音が出るような、訪れる人一人ひとりの
                  スタイルに合わせた楽しみ方ができると思います。
                  【関連記事】
                  ◇「アオガエル電車」 と 「いもむし電車」
                  http://nureinmal.jugem.jp/?eid=2401
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                  吉野は桜だけでなく 「南北朝」 の史跡もいっぱい!

                  2016.03.29 Tuesday 05:15
                  0

                    吉野というと、学生時代にただ暗記した 「よき人の
                    よしとよく見てよしと言ひし吉野よく見よよき人よく見つ」
                    という早口言葉か呪文かわからない言葉がまず蘇ってきます。
                    ネットで調べたら、『万葉集』 の天武天皇の作と言われて
                    いるそうで、失礼いたしました(笑)



                    南北朝の歴史に思いを馳せつつ、全山が桜におおわれ、
                    「西行庵」 では諸行無常をも感じられるなど、桜の
                    開花時期でなくても、見どころ満載だったのが吉野でした。
                    http://www.yoshinoyama-sakura.jp/sakura.php


                    (吉野朝宮跡)

                    後醍醐天皇御霊殿や楠木正行の辞世の句がある「如意輪寺」
                    など、「太平記」 ロマンを物語る寺社仏閣が想像以上に
                    ありました。後醍醐天皇が足利尊氏に攻められて逃れたという
                    「吉野朝宮跡」 もさびれて物悲しい雰囲気でした。



                    その他、「蔵王堂」「勝手神社」「竹林院」「吉野神宮」、
                    さらに病気全癒、とくに頭の問題にご利益があるというネーミングも
                    ユニークな 「脳天大神」 などもあり、2日間かけてほとんどの
                    寺社仏閣を回りました。
                    http://www.nyoirinji.com/



                    また、水を司る天之水分(あめのみくまり)大神が御祭神の
                    「吉野水分神社」 に至っては、パワスポ的な気が境内に
                    溢れていたように感じます。

                    全山にわたって色とりどりの桜が、イングリシュガーデンのように
                    いかにも自由に咲きまくっているので、その色のバランスもまた
                    吉野の桜の魅力でしょう。



                    下千本・中千本・上千本と、麓から順に咲いていくので、
                    命短い桜の開花時期ですが、どれかの満開時に当たれる可能性が
                    あって、「せっかく行ったのに葉桜」 ということはないかも?
                    天候や、訪れる時期によって、いろいろな表情を見せてくれる
                    吉野は、1本桜派の私でも印象に残っている、桜の名所と
                    なったのでした。

                    category:歴史 | by:まるたん | - | - | -

                    八雲立つ風土記の丘の 「見返りの鹿」

                    2015.12.10 Thursday 23:24
                    0

                      2017年の新卒案件も動き出したし、スルーしようかなとも
                      思ったのですが、やはり土偶や埴輪については書かずに
                      いられない私です。
                      埴輪パラダイスと言えば、レプリカでしたが、宮崎の
                      「平和の塔公園」 隣接の 「はにわ園」 が印象的です。
                      http://www.m-guide.info/kankou2.html

                      島根県立 「八雲立つ風土記の丘」 は、古墳の出土品
                      博物館であり、植物園であり、そして遺跡でもあります。
                      http://www.yakumotatu-fudokinooka.jp/



                      「八重垣神社」 からたった2キロしか離れていないのに
                      あちらは縁結び祈願の女性でいっぱいなのに対して、
                      広い敷地の 「風土記の丘」 には人けなし。
                      古代出雲ではこの 「意宇(おう)」 エリアは、国造りの
                      中心地だったとのことですが、栄枯盛衰、諸行無常…。



                      展示学習館に入ると、入口では馬と鹿がお出迎え。
                      バカにしとんのかーいと突っ込みを入れつつも、
                      子供は乗っていいそうなので、くまきち(7歳)を
                      おすわりさせて写真を撮りました。
                      と思ったら、馬や鹿の埴輪が展示してあるからだったのです。

                      私のお目当ては、同館のアイドル的存在という 「見返りの鹿」。
                      重要文化財です。



                      馬の埴輪に前を向いているのに、なぜか鹿だけ後ろを見て
                      いるのです。同じように振り返っているスタイルの鹿の
                      埴輪は、奈良県や静岡県でも出土しており、鹿には何か
                      意味があるのでしょうか?



                      当時は仏教も伝来していないので、神様のおつかいという
                      概念もなかったでしょうし、不思議です。



                      館内はフラッシュをたかなければ撮影OKなので、張り切って
                      バシバシ撮りまくりました。埴輪の他、重要文化財指定
                      されている太刀なども無造作に展示してありました。

                      「三内丸山遺跡」 では、頭のネジが外れるくらいに
                      ハイテンションだったので、「大型板状土偶」 ペンダントを
                      買いましたが、結局、そのまま放置状態になっている反省を
                      踏まえ、「見返りの鹿」 のぬいぐるみストラップについては
                      購入したいという気の迷いを押さえました。えらい!

                      展示学習館の周りは、秋風吹く、だだっ広いススキ野で
                      そこに掘立柱住居や竪穴式住居の復元や、箱式石棺などが
                      屋外展示(?)してあります。



                      また、展示学習館に展示してあった 「額田部臣」 銘文入り
                      太刀を出土したという、岡田山1号墳も敷地内にあり、
                      ちょっと珍しい前方後方墳(四角と四角)。
                      隣の岡田山2号墳は円墳です。円墳を見たら、溝の口での
                      灼熱の古墳めぐり地獄(仕事)が蘇ってきました。

                      「八雲立つ風土記の丘」 周辺には、御先山古墳、条里制古墳、
                      古天神古墳、岩屋後古墳、向山古墳などの古墳群が広がって
                      いて、古代遺跡を散策する 「はにわロード」 なるコースの
                      MAPも展示学習館に置かれていました。



                      展示学習館の裏は、奈良時代に編纂された 「出雲風土記」
                      に記載されている植物を集めた 「風土記植物園」 もあり、
                      ほとんど枯れていましたが、晩秋の風情を楽しんできました。
                      とにかく、鹿の埴輪(本物)を見たので、大満足です!

                      【関連記事】
                      ◇日本の土偶ベスト3!
                      http://nureinmal.jugem.jp/?eid=387

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