関門エリア・壇ノ浦 「見るべきほどのことは見つ」

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    門司港散策からスタートした北九州旅行関係も、今日で
    ようやく終着点に辿り着きました。

     

    関門エリアの北九州側で見た 「句塚」 なんて4月16日。
    途中、リアタイのブログも挿入していたので、1カ月半に
    及ぶ展開となってしまったのです。

     


    まさに、「見るべきほどのことは見つ」 by 平知盛。
    ラストにふさわしい壇ノ浦で締めることとします。

     

     

    関門橋のたもとは、早鞆の瀬戸とも言われる壇ノ浦。
    平家滅亡の歴史を今に伝える壇ノ浦を見渡せる岸辺は、
    「御常(みもすそ)川公園」 として整備されています。
    馬関でもあるので、平家と幕末が混在エリアです。

     

    (躍動感ある銅像が見応えあり!)

     

    砲台と共にどどーんと目立っているのが、源義経と
    平知盛の像です。躍動感のある見応えのある銅像。

     

    「平知盛というと、やはりドラマなら阿部寛さんが
    一番印象的だったなぁ」 と思っていたら、すぐ後ろで
    サラリーマン風の男性二人が、「どうせなら阿部寛の
    手形でも銅像の所に置くといいんじゃね?」 とか、
    私の心を読まれたような会話が成されていて、能力者
    なのかと身構えてしまいました(笑)。

     

    どっちにしても、猛将・平知盛の最期は劇的なシーン
    なので、壇ノ浦で歴史に思いを馳せるのにはぴったり
    だと思います。ちなみにサラリーマンのお兄さんたちの
    意見に、私も1票。

     

     

    銅像の近くでは、源平合戦の様子をあたかも見たように

    臨場感あふれた口調で語る、昔ながらの紙芝居屋さんも

    いて、ひと言ひと言に熱がこもっています。

     

     

    壇ノ浦古戦場近くには、「立石稲荷大明神」 の鳥居が
    斜面に続いており、こちらは、平家一門が都から下って
    来た際に、「京都伏見稲荷」 から分祀したもの。

     

    (対岸には、門司港レトロの一帯が広がっているエリア)

     

    道を挟んで向かいには、しめ縄の付いた石が海辺にあり、
    「立石稲荷大明神」 の名の通り、石と神社でワンセット
    だと思われます。

     

     

    下関方向へ西に向かって海岸沿いに行くと、壇之浦漁港。
    ちょっと伊根の舟屋に似た造りで、母屋と船のガレージが
    一体化した造りの家が並んでいました。

     

    壇ノ浦周辺では 「赤間神宮」 がパワスポと言われていますが
    私としては 「うーん、微妙」 という感じで、とくに
    お呼ばれしなかったのですが、この壇之浦漁港は家と家との
    隙間からこの船溜まりに出る、それほど目立たない場所に
    あるものの、なぜか呼ばれてつい見学してしまいました。
    「赤間神宮」 と私の波長が合わなかっただけかも?

     

    我が家の父方は、源氏系列の加賀美氏の流れを汲んでいて、
    苗字としては全体で78位ですが、長野県では堂々の4位
    だと、「苗字由来net」 に書かれていました。
    このサイト、面白し! ズバリ賞!
    ってことで、そもそも平家とは相性良く無さげなのです。
    https://myoji-yurai.net/

     

     

    話戻ると、壇之浦漁港には舟屋のほか、堤防近くには、
    漁師さんの安全を見守っていると思われる 「蛭子神社」
    と、またしても神が宿っているに違いない石がありました。

     

    蛭子は、イザナギとイザナミが国造りする上で、最初に
    生まれた失敗作の子供ですが、ご利益は商売繁盛の恵比寿
    に通じます。

    なので、源平の昔のことはお互い水に流そうよと歩み寄り、
    (加害者側ですが)「蛭子神社」 にも手を合わせました。

     

     

    そして、壇ノ浦合戦で、二位尼に抱かれ、幼くして亡くなった
    安徳天皇が祀っている 「赤間神宮」 へ。
    入水する際、二位尼が幼帝に 「波の下にも都のさぶろうぞ」
    と言ったとされることから、海の都をイメージした 竜宮城の
    形をしているのが特徴です。
    安徳天皇をはじめ、平家一門の墓が祀られています。

     

    二位尼が幼帝と共に抱えて入水した三種の神器の内、

    「八咫鏡」「八坂瓊曲玉」 は見つかりましたが、未だ

    「草薙剣(天叢雲剣)」 は海の底に眠っています。

     

     

    そこからまた少し行くと、海辺に突如、でっかい碇が。
    謡曲 「碇潜(いかりかづき)」 をイメージした小さな
    公園も作られています。

     

    「碇潜」 は、平家一門の合戦の模様と、その最期を
    描いた演目で、謡曲ではありがちな展開ですが、
    壇ノ浦の古戦場を弔いに来た旅僧が乗り合わせた
    渡し船の漁翁に戦いの様子を聞いていると、にわかに
    漁翁が、実は自分は平知盛の霊だと語ったことから、
    その僧は知盛の霊を弔うという展開。
    「船弁慶」の類曲とも言える作品です。

     

    謡曲って、大体、謎の人物が語り始めて、生前は
    有名人で、その怨念や辛さを語って舞い、満足して
    成仏していくという流れが多いですねー。

     

    学生時代は 「風姿花伝ゼミ」 だったこともあり、
    一応に有名作品の流れを頭に入れましたが、この
    パターンが多すぎて、もはやカオスです。

     

    平知盛の最期を描く舞台 『子午線の祀り』

     

    平家物語でも、この平知盛テーマの作品は好きで、
    『子午線の祀り』 は2回鑑賞しました。

     

    1999年の 「新国立劇場公演」 は源義経が市川右近さん
    (現・右團次)、『陸王』 のシューフィッターの人です。
    そして、2004年の 「世田谷パブリックシアター公演」 は
    源義経が尾上辰之助さん(現・松緑)でした。

     

    平知盛役は、「世田谷パブリックシアター」 の芸術監督
    でもある野村萬斎師です。
    昨年も久々に 『子午線の祀り』 の再演がありましたが、
    行けなくて残念。会員なのに…。

     

    そういえば、ついでですが、野村萬斎さんはNHKドラマ
    『蒼天の夢』 で高杉晋作役でした。吉田松陰役が
    中村橋之助さん(現・芝翫)で、ベースは司馬朗太郎さんの
    『世に棲む日日』 です。VHSビデオも買って、今でも
    持っていますが、私のVIERA LINKでは今や見ることできず。

     

    門司港と下関の散策リポートを書き終え、ちょっとした
    解放感から脱線してしまいました。
    「見るべきほどのことは見つ」 の心境で、明日からは
    この2カ月間で読んで良かった小説についても書きたいな。

     

    まずは、近年読んだ中でも、文章の美しさに浸ることが
    できた 『羊と鋼の森』 ですね。
    映画を観る前に読んでおいた方がいい作品と、映画の
    世界を堪能してから原作との違いを楽しむ作品が
    ありますが、この作品に関しては事前の読了がオススメ!

     

    きっと、映画で描かれるシーンの意味が、より強く
    伝わってくるに違いありません。
    http://hitsuji-hagane-movie.com/

     

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    動けば雷電の如き高杉晋作、下関での足跡

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      山口県と言えば長州、長州と言ったら高杉晋作90%、
      吉田松陰10%って感じです。
      高杉晋作と言えば、「動けば雷電の如く、発すれば
      風雨の如し、衆目駭然として、敢えて正視するものなし。
      これ、我が東行高杉君に非ずや」 と伊藤博文に言わしめた
      幕末の革命児です。

       

       

      幼少のみぎり、大河ドラマで 『花神』 を欠かさず見て、
      その後、司馬遼太郎さんの 『世に棲む日々』 を読み、
      私の中の高杉晋作像が確立されました。

       

      オテントサマ丸(丙寅丸)での戦いっぷりなど、陽気な
      破天荒さも魅力ですが、自分が士族なのに、奇兵隊という
      身分制度無視の軍隊を作った功績は、まさに選ばれし者!

       

      …という前置きはさておき、JR下関駅の階段には、維新
      150周年のイメージイラストとして、「長府功山寺」 にある
      高杉晋作挙兵の像のシルエットが描かれていました。

       

       

      日和山公園にも高杉晋作像がありますが、そちらは立像で
      躍動感がないので、「長府功山寺」 の方が好きです。
      日和山公園の像は、第二次世界大戦の時に金属供出で
      潰され、備前焼きで製作された物なので、こうした
      躍動的な像は難しいでしょう。ただ、備前焼きの大きさ
      部門では日本一を誇っています。

       

      下関駅の北には、高杉晋作関係の史跡が多数ありますが、
      今回は見残していた新地町の 「高杉晋作終焉の地」 へ。
      萩からスタートした旅の終わりを見ておかなくては!
      桜山町には 「高杉晋作療養の地」 もあります。

       

      (「開闢=かいびゃく」 という言葉は、高杉晋作で知った)

       

      その途中には、「奇兵隊結成の地」 の石碑もあって、
      そこに刻まれた説明によると、「長州藩を明治維新へと
      推し進めたのは奇兵隊であるが、さらに明治維新を
      解明する鍵が奇兵隊であるともいわれている。奇兵隊は
      文久三年(1863年)六月、この地の廻船問屋白石正一郎家で
      結成された。正一郎は結成と同時に入隊し、高杉晋作を
      援けた。年令も、身分もまったく違う、二人のかたい
      結びつきが奇兵隊を支えたということができる」 と
      書かれていました。

       

      また、説明書きには 「広く坂本竜馬ら諸藩の志士400人」
      となっていて、それ、司馬遼太郎さんのキャラですが…。
      「本陣伊藤邸址」 に続き、長州藩士以外は割とどうでも
      いい感の第二弾でございました。

       

       

      「高杉晋作終焉の地」 は、下関駅から700メートルくらいの

      住宅街にあります。静かな住宅街にふさわしくない幟が突如

      パタパタしているので、遠くからでもわかります。

       

      (面白きこともなき世は、どうだったのかな?)

       

      そこには、しっかりと高杉晋作の功績について誇らしげに

      まとめられた説明板がありました。

       

      それによると、「1863年6月、攘夷の決行で外国艦に砲撃

      された下関を防御するため来関し、直ちに騎兵隊を結成。
      奇兵隊は志があれば、武士以外の者でも入隊を許した
      画期的な軍隊でした。1864年に8月には、欧米列強との

      下関戦争の戦後処理にあたり、同年12月には 『長府功山寺』

      で挙兵して、藩論を討幕へと導きました。1866年6月からの

      四境戦争では、奇兵隊などの諸隊を率いて幕府軍を小倉口で

      撃退しましたが、すでに病に侵されており、1867年4月14日、

      新地の庄屋林算九郎邸の離れ家で没しました。数え年29歳。
      遺骸は奇兵隊陣屋近くの吉田清水山に運ばれ、葬儀は
      白石正一郎が祭主となって神式で行われました」 とあり、

      “もっと、もっと彼の功績をPRしたいぞ” 愛に溢れていました。

       

      (紙焼きをスキャンしたので暗い、萩の 「円政寺」)

       

      萩の生誕地や 「明倫館」、吉田松陰と出会った 「松下村塾」、
      奇兵隊挙兵の 「長府功山寺」 と 記念館もある 「東行庵」
      など、いろいろ回りましたが、何となく実際の場所に行って
      近くに感じることができたのは萩の 「円政寺」。
      木戸孝允旧宅の並びにありました。
      http://www.tougyouan.jp/

       

       

      たしか 『世に棲む日々』 にも書かれていたと思いますが、
      少年時代の晋作が、家族に連れられ、この寺にかかっている
      怖い顔の天狗面を見せられたことで、物怖じしない性格を
      培ったという躾エピソード。家族が連れていかなくても
      歩ける距離なので、眉唾モノではありますが、どこか
      それを信じたい気がする雰囲気で、一番印象的でした。

      http://www.hagi.ne.jp/kanko/onari_machi_05.html

       

      とにもかくにも、高杉晋作関係については自分の中でも
      「見るべきほどのことは見つ」 という心境です。

       

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      坂本龍馬の長州での生活が垣間見える 「本陣伊藤邸址」

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        ふい〜、長期予報をチェックしたら、今週スカッと
        晴れそうなのは今日しかないので、やむを得ず、
        涙を飲んで、原稿書きをペンディングして、撮影に
        出掛けました。

         

        このところ、ご無沙汰の 「世田谷パブリックシアター」
        ですが、今日はキャロットタワーの26階の展望ロビーでの
        撮影からスタートし、世田谷公園や諸々の児童公園などを
        回りながら、学芸大学駅まで歩き、ただ今ぐったり。

         

        世田谷での撮影も全て終わっていないので、そちらは
        また今度にするとして、このぐったり感にぴったりな
        壇ノ浦でまとめてみます。

         

         

        壇ノ浦は、源平合戦の平家終焉の地であると同時に、
        幕末には長州藩が英・仏・蘭・米4か国連合艦隊と戦って
        ボロ負けした馬関でもあります。

         

         

        「関門トンネル人道」 を出てすぐの所には、天保製長州砲
        を再現したものが並んでいます。お台場のよりデカい!

         

        (煙が出とる〜! 100円入れてくれた人、ありがとう)

         

        砲台を背に門司港を眺めていたら、後ろから 「どっかーん」
        と大きな音がして、ふいをつかれたから本来より大きく
        感じたのかもしれませんが、少なくとも田んぼの雀脅しより
        デカい音がしました。

         

        音の方に顔を向けると、なんと砲身からちゃんと煙が出て、
        それらしい雰囲気を醸しているではありませんか!?
        どうやら100円入れると、このオプションを楽しめるようです。

         

        馬関から、西へ進むと、高台に 「下関春帆楼本店」 が
        あり、その下には 「本陣伊藤邸址」。

        坂本龍馬がお龍と暮らした場所として、二人の顔出し看板
        が、ぽつーんと置かれていました。背景は駐車場。
        置く方向、もう少し考えた方がいいだろ?
        土佐者は眼中にない、維新150年を祝う長州なのでした。

         

         

        「本陣伊藤邸址」 についての説明板によると、伊藤家は
        鎌倉時代から続く下関屈指の名家で、幕末の頃の当主・
        杢之助は吉田松陰と交際し、助太夫は坂本龍馬を支援。
        中でも、龍馬の晩年とも言える慶応2・3年、龍馬は
        伊藤家を活動の拠点にしていたそうです。

         

         

        龍馬と助太夫との関係は、龍馬が薩長同盟実現に向けて
        下関を訪ねた慶応元年(1865年)に始まり、以来、
        龍馬は下関を訪ねるたびに伊藤家を寄宿先とし、慶応3年
        2月10日からは同邸の一室 「自然堂」 を借り受けて、
        お龍と生活していました。龍馬の朝帰りにお龍が激怒したり、
        夫婦で歌会に参加したというエピソードも残っています。
        思ったより、長州での生活は京都や長崎よりも安全だった
        のかもしれません。

         

         

        西郷さんと違って、新し物好きな龍馬は、長州でも写真を
        撮っていたようで、晩年の割には他のいくつかの写真に
        比べて、少し若く見える気がしました。

         

        (慶応2年の新婚旅行像は鹿児島にあります。龍馬が小柄)
         

        まあ、あとは龍馬関係は、福山市鞆の浦にあるという
        潜伏先 「桝谷清右衛門宅」 に行けば、ほぼクリアかな?

        ちなみに、自分のブログを見てみると、あたかも龍馬

        ファンのようなことになっていますが、私が幕末の志士で

        一番好きなのは、高杉晋作です(笑)。

         

        【関連記事】
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        ◇立会川の 「坂本龍馬像」 と 「浜川砲台跡」
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        旧東海道本線の鉄道遺構 「ランプ小屋」

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          さてさて、今日は予定通り、「伏見稲荷大社」 に
          行ってみよーと思っていましたが、深草のホテルから
          徒歩で神社に向かっていたら、JR奈良線・稲荷駅の横に
          「ランプ小屋」 なる建物がありました。

           

           

          「伏見稲荷大社」 の鳥居の真ん前に、稲荷風な朱色の

          柱が印象的なJR稲荷駅があり、出口の横にちんまりと

          たたずんでいます。

           

          (後ろに見えるのは、ホームの柱も朱色のJR奈良線・稲荷駅)

           

          以前は、駅舎の石油ランプ灯具などの保管をするための
          建物で、現在は鉄道標識などの収蔵に利用されています。

           

          「京都鉄道博物館」 に移築してしまわずに、利用目的は
          変わっても現役で使われているのは嬉しい気がします。

           

          説明板には、明治11年8月21日施工、明治13年7月15日完成、
          大正10年8月1日廃止と書かれており、「準鉄道記念物」 にも
          指定されていることから、“国鉄最古の鉄道遺構” という
          TOP表記は間違いないようです。

           

          (わかりやすいんだか、おおざっぱなんだかわからない説明板の図解)

           

          現在、稲荷駅はJR奈良線の駅ですが、かつて東海道本線の
          膳所(ぜぜ)と京都間が開通するまでは、膳所から稲荷を
          経由するコースになっていました。

           

          説明板によると、それまで外国人が行っていた鉄道建設を
          全て日本人の手で進めることとなり、明治13年7月14日に
          開通式を行い、翌7月15日から全線開通になったそう。

           

          しかし、急曲線の連続急勾配対策として、大正4年から
          線路変更工事が開始し、東山トンネル・新逢坂山トンネルの
          新線が開通したため、膳所から京都までがダイレクトに
          つながったことから、お役御免となり廃線。

           

          明治13年と言ったら、明治5年の国鉄開業からたったの
          8年。当時の日本人は、敗戦後の日本に負けないくらい
          バイタリティがあったのですね。

           

           

          今も、人々が願い事(稲荷神社なのでとくにお金)に

          かける情熱に関しては、そのバイタリティ健在なようです。

          今日は、神社続きだったので、気分を変えて、鉄道…ではなく、

          交通インフラの歴史遺産について触れてみました。

           

          (お狐様が待っているぞ、コーン)

           

          明日こそ、海外観光客No.1のパワスポ 「伏見稲荷大社」
          でいきたいと考えています。

           

          それにしても、たしか正味2日の滞在だったのに、どうして

          こんなに写真撮っちゃって、ある程度掲載するのに10日以上

          かかっているのか、自分でも訳わかりません。

           

          エリア散策の原稿書きの仕事をしているせいか、ついつい

          仕事モードのスイッチが入って、のんびり散策するつもりが

          ガッツリ見て回ってしまったのかも?

          次第に、あの京都旅行は1週間くらい行ってきたのでは

          ないかという気がしてきました。

           

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          丸ノ内線&銀座線の記念乗車券 in 昭和

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            昨日の件から、父が捨てる物は検閲してから廃棄する
            ことに決めた私。聖徳太子のお札でも挟まっていれば
            嬉しいのですが、そういったものはなさそうです。

             

            ただ、帝都高速度交通営団の記念乗車券が出てきました。
            今は 「東京メトロ」 という社名になってしまいましたが、
            舌噛みそうな 「帝都高速度交通営団」 という名称は
            どこか古めかしくて(実際、戦前からの名称)好きでした。

             

             

            1枚は昭和31年(1956年)の 「東京開通記念乗車券」。
            これまたひと目では意味がよう伝わらんネーミング。
            もともと、東京都内を走っていたのに、何を今さら
            「東京開通」 と思ったら、正しくは 「東京駅」 まで
            開通したという意味でした。

             

            池袋の方から地道に造り続けた地下鉄が、1956年の
            3月には御茶ノ水〜淡路町間が開通し、7月には
            それが東京駅に到達した、『黒部の太陽』 的な喜びが
            表現されているという訳です。

             

            でも、ベースから―はダルトーンであんまり嬉しく
            なさそうな上、中央の建物のパースがメチャクチャで
            プロの仕事と思えません。建物のイエローとマゼンタとの
            版ズレが目立たないための工夫かもしれません。

             

            池袋から東京まで16分というスピードは、今も更新
            されていないようで、「駅すぱあと」 でチェック
            してみたら、丸ノ内線の池袋・東京間は2017年現在も
            16分。そのくせ、料金は10倍の200円になっています。

             

            私がよく利用する荻窪周辺に比べ、その名の通り、
            丸ノ内線の主役は 「東京駅」 であることを実感
            させられる1枚です。

             

             

            もう1枚は、昭和43年(1968年)の 「銀座線60両更新
            記念乗車券」。サブタイトルには 「地下鉄最初の車両
            さようなら」 と1000形車両も描かれていて、この古い
            車両が引退しても60両なのか、旧型車両の引退はおまけ
            なのか、訴求ポイントが曖昧です。

             

            ただ、この1968年は年末にそれまで東京の地下を独占
            していた 「帝都高速度交通営団」 のライバルとなる
            「都営地下鉄6号線(都営三田線)」 が年末デビュー
            するとあって、「東京開通記念乗車券」 の方は単に
            「地下鉄」 とオレ様表記していましたが、こちらは
            社名が入っているのがポイントと言えるでしょう。

             

            まさに 「東京の地下交通が変わる!」 と言っても良い
            エポックとなる年なのでした。

            とか書いてたら、1958年の電車往復乗車券が出てきて

            マンホール…じゃなく、古い東京都のマークの券まで

            出てきちゃったよ! 都営地下鉄がないってことは、

            都電ってことでしょうか? もう少しカテゴライズした

            収集に努めてほしかったぞ、父。捨てるのは惜しいので

            ちまちまと廃棄前のサルベージをするしかなさそうです。

             

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            「東京鉄道管理局」 発行の国鉄記念乗車券

            0

              溜め込み気質の父もようやく観念したのか、少しずつ
              いらない物を捨てる気になってきました。遅い!

              生きてる内に、捨てるもんはさっさと捨ててくれ!

               

              重い物も多数あるので、結局、運ぶのは私です。

              えっちらおっちら、廃棄用収集物を運んでいたら
              はらりと紙が落ちました。なんとそれは旧・国鉄の
              切符で、東京から名古屋までの乗車券。

               

               

              名古屋からの切符ならまだしも、どうやって名古屋駅の
              改札を出たのか、その高度なキセル技術に驚きました。

               

              切符の裏には、「鐵道規則堅可相守者也」 という
              中国語かと見まごう文字列があり、要約すれば
              「無賃乗車じゃないよ」 ということみたいです。
              いかにも、日本国有鉄道的な “官” を感じる風格が

              あると言えなくもありません(笑)。

               

              日付だけ入っていて、いつのものやらわかりません。
              ただ、初乗り10円の時代と思われるので、150円という
              ことは、初乗り料金のたった15倍で名古屋に行けたのに
              対して、現在の東京・名古屋間は6260円。JRの初乗りは
              140円なので、名古屋までの交通費は昭和30年代よりも
              高い約44倍ということになります。
              「のぞみ」 に乗ればもっと高く…って名古屋をスルー
              するものあるし。

               

              京浜東北・山手線(田町▶田端間)複々線開通記念乗車券

               

              年度が入っていない切符ですが、初乗り10円の時代の
              物だと予想されるのは、それが挟まっていたページに
              ドドーンと「京浜東北・山手線(田町〜田端間)
              複々線開通記念乗車券」 が貼り付けられていて、その
              切符が 「10円区間」 となっていたからです。

               

               

              ネットでも確認したら、昭和31年の初乗り料金は10円。
              なんと、26年から41年2月までの15年はずっと10円
              だったのでした。そりゃ、国鉄の赤字、貯まるがな。

               

              私の中の基本情報としては、山手線は東北線との関係で
              池袋駅〜田端駅間が最後につながったということくらいで、
              もともと田町と田端はつながっていたはずなのに、なんで
              記念乗車券を発売しちゃうくらい喜んでいるのか、理由が
              わかりませんでした。鉄ちゃんではないので、あくまでも。
              そう、交通インフラの歴史的な興味です。

               

              鉄道関係はネット情報があまりに多いので、無難にWiki。
              簡単に答えは見つかり、それまで田端駅〜田町駅間は
              京浜線と山手線が共有していたのが、旅客の増加に伴い、
              複々線化して、2線が分離でき、インディペンデンスな
              ことを祝っていたのでした。その機会に、京浜線が
              京浜東北線に改名したのはスルーされていました。

               

              そして、ちょっと気になったのが、この記念乗車券を
              発行しているのが、国鉄ではなく、東京鉄道管理局で
              あること。また、Wikiを見たら、国鉄の事務部門的な?
              列車を走らせるのが偉くて、PRの重要性は軽視している
              時代の空気も、微妙に漂ってきた気がしました。


              体系的に理解できる 「軍艦島デジタルミュージアム」

              0

                全身、出航前の桟橋でずぶ濡れだったので、いったんホテルに

                戻ってから、ホテルからも近い 「軍艦島デジタルミュージアム」

                に行って来ました。うっかり、船のチケットを忘れたのですが、

                リストでチェックしてくれて入場できました、てへ!

                http://gdm.nagasaki.jp/

                 

                 

                『長崎堂』 というカステラ屋さんと、ミュージアム
                1階のショップがつながっていて、まだ3人が退所して
                いかなったSMAPの 「夜空ノムコウ」 が流れていたのが
                印象的でした。

                 

                 

                雨のせいで服が1日分足りなくなったので、軍艦島
                Tシャツをウキウキと買いました(笑)。

                 

                 

                2階からが展示室となっていて、まずは2階への階段横に
                軍艦島の位置や、次第に施設が増築されていく様子が
                わかる写真が並んでいます。

                 

                1810年に石炭が発見され、1890年に三菱合資会社の経営と
                なって、海底炭坑として操業が開始された歴史なども
                ざっくりと説明されていました。

                 

                (空撮や島民が持っていた白黒写真などが映し出される)

                 

                2階フロアの正面は、全長30メートルのスクリーンに
                軍艦島のイメージ画像や、当時の生活を知る約3000枚の
                写真や、廃墟になってからのドローン映像のような
                動画が映し出され、見応えあります。説明してくれるのは
                元・島民の方でした。

                 

                 

                島民が写っている日常写真は、当時の熱さや、炭坑という
                大変な仕事ではあるものの、最新家電などの “モノ” に
                恵まれて幸せそうな人々の笑顔に溢れています。

                 

                 

                運動会やお祭り、組合運動で賃金が上がった嬉しそうな顔。
                今でこそ、労働環境が重視される時代に成長しましたが、
                あの時代は “そういう時代” だったのだなあと。

                 

                 

                そのすぐ左側には 「採炭現場への道」 という立体映像が
                あって、今はもう入れない炭坑の坑道へ行く雰囲気を
                体感できます。まずはケージで約600メートル降りて、
                そこから次々と各坑道に分かれていく様子がリアル。

                 

                トロッコは前のめりにならないよう、後ろ向きに乗ると
                知りました。インディ・ジョーンズのように乗るのかと
                ばかり思っていたので、目からウロコ。
                また、8時間3交替の流れは、破砕(ハッパ)、採掘、
                運搬という工程だったことも、映像の途中、説明が
                入っていました。

                 

                 

                さらに、その隣には軍艦島のアパートを再現した部屋が。
                自由にあがることができ、ちゃぶ台の上のノートは
                感想を書くためのものです。

                 

                 

                3階に上がると、右手に 「シマノリズム」 という
                軍艦島全体のジオラマもあって、そこに朝昼晩の
                人の流れがプロジェクションマッピングになっており、
                小さな島が生きているようでした。

                 

                (たぶん、ここにいた時間が一番長いww)

                 

                そのほか、元島民の言葉と映像、2016年版軍艦島VRの
                コーナーも。島の立ち入り禁止区域をゴーグルをして
                VRで進むアトラクション。Googleストリートビュー
                以上のリアリティに、かなりの時間、見まくり!

                 

                3階館内にずっと不思議な音が流れているなと思ったら
                島で最後に造られた建造物である体育館の模型と、
                これまでどのように壊れていったかがわかる動画が
                ブラウン管テレビから繰り返し流されていて、その
                ガラスが割れたり、天井が落ちる音だと気づきました。

                 

                閉山の噂で、島民の流出が始まった頃、その噂を払拭
                するために造られたという悲劇の体育館は、今や躯体が
                かろうじて残っている状況です。

                 

                 

                そして、4階にあるのは1つだけ。
                かつて軍艦島の1号棟であった 「端島神社」 です。
                入場料を払っているのに、ちゃっかりお賽銭箱まで
                置かれていましたが、軍艦島保存に少しでも役立てば
                と一応寄付のつもりでお賽銭を入れてきました。

                 

                正面に石炭が飾ってありましたが、たしかにキラキラと
                ダイヤのようにきれい!

                 

                そういえば、小学校の低学年の頃、石炭ストーブで
                冬は日直がバケツに石炭を入れて運ぶという仕事が
                あった覚えがあるのですが、こんなにきれいじゃなくて
                もっとザラザラしていたような気が…。
                あれは何だったのだ? クズ石炭だったのかな?

                 

                で、「軍艦島デジタルミュージアム」 ですが、
                体感型のコーナーも多く、体系的に軍艦島の歴史や
                当時の生活を知ることができ、見学では行けない
                エリアの様子も楽しめるので、行って損はないと
                思いました。“廃墟のみ” が好きな人にはあまり
                響かないかもしれません。

                 

                【関連記事】

                ◇Google撮影と4年差とは思えない 『軍艦島』 の劣化
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                ◇『軍艦島』 西側は船上から
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                ◇本日天気最悪なれども波負かし、軍艦島上陸!
                 (http://nureinmal.jugem.jp/?eid=3289


                龍馬にゆく!〜亀山社中編〜

                0

                  風頭山の伊良林には、「亀山社中記念館」「亀山社中資料展示館」

                  の2つがありますが、実際に 「亀山社中」 があったのは記念館の方。

                  また、「亀山社中資料展示館」 は個人が運営しているそうで、

                  土日しか開館していません。まあ、土方さんの生家みたいな感じ?

                   

                   

                  ようやく、「風頭公園」 の東側まで下りていくと、
                  伊良林という集落があり、「龍馬通り」 という
                  それなりに整備されているけれど、坂と階段が多い
                  道を行くことに。

                   

                   

                  道の途中には 「亀山社中」 の隊士たちのイラスト入り
                  看板があって、おそらくこちらはNHK 『龍馬伝』 前から
                  設置されているものではないかと予想されます。

                   

                  「亀山社中記念館」 に行くためには、路面電車を
                  利用して 「新大工町」 で降り、寺町の外れから入って
                  いくつもの墓場を通る上り坂コースと、私のように
                  体力温存を重視する 「風頭公園」 からの下り坂
                  コースがありますが、それでも結構上ったり下りたり、
                  坂が続く道のりです。

                   

                  (「亀山社中記念館」 には左の方へ進む)

                   

                  「亀山社中」 があった場所に建てられている、長崎市立
                  「亀山社中記念館」 は 「風頭公園」 から約300メートル
                  の場所にあります。上り坂コースの人のために、通りの
                  横には所々、休憩用の 「休石」 が設けられています。
                  クマはナップザックの中にいて、疲れてもいないくせに
                  おすわりしていました。

                   

                   

                  「亀山社中記念館」 は思った以上に小さい建物でした。
                  部屋は10畳・8畳・3畳の3つで、廊下もありましたが、
                  そちらは改装の際、新たに造られたものだと記念館の方が
                  教えてくれました。
                  http://www.city.nagasaki.lg.jp/kameyama/index2.html

                   

                   

                  こちらに訪れる人は、結構コアなファンが多いらしく、
                  ある程度、龍馬についての基本がわかっている人に
                  ちょうど良いレベルの情報を提供してくれます。

                  龍馬の時代から残っているものは何かも説明してくれました。

                   

                  庭の池を撮影しようと思いましたが、それは当時あったのか
                  どうかは怪しいと言われました。

                   

                  小さな庭からは、長崎の港が見下ろせ、グラバー園のある
                  大浦の方まで見渡すことができます。うーむ、感慨深い。

                   

                  (窓側の鴨居の上には隊士たちの名前が並ぶ)

                   

                  10畳の部屋の床の間については、以前に改装した際、
                  龍馬の時代の設計図が出てきて、現在の場所にあったことが

                  わかったので移動したそうです。

                   

                  龍馬の羽織やブーツ、刀などの展示品は全て複製。
                  複製品が多いのは、古い建物だし、セキュリティ的にも

                  致し方ありません。

                   

                   

                  改装前は床の間があったという場所には、現在、龍馬の
                  写真の中でも有名なやつがぶら下がっており、畳には
                  手持ち用の刀も置いてある写真コーナーです。
                  龍馬と同じように台に肘をついて写真が撮れますが、
                  クマすわってるし…。

                   

                  台の高さも忠実に再現したのか確認しましたが、そこは
                  微妙なようでした。龍馬の身長的にはもっと高めでは。

                   

                  私の他にも九州を自転車で回っているという大学生が
                  見学に来ていたので、そちらの人には、当時の撮影は
                  時間がかかったことなど話していて、私もおしろいとか
                  塗って顔を鮮明にしていたんですよね〜みたいな雑談を
                  してきました。

                   

                   

                  写真コーナーの横はもう一つの部屋への入り口になって
                  いて、奥の部屋には屋根裏部屋がありました。

                   

                  龍馬の書簡の複製の展示や、長崎での活動についての
                  説明、そして土間の跡はガラス張りになっており、
                  リニューアル工事の時に出土した物(本物)を、
                  床のガラス越しに見ることができます。

                   

                   

                  屋根裏への梯子は上ってOKで、隊士たちや火鉢が置いて
                  あって、「亀山社中記念館」 の中では一番リアリティが
                  感じられました。脱藩者でお尋ね者だし、武器商人みたいな
                  (“みたい” じゃないけど)ことをやっていたわけなので、
                  屋根裏に潜伏したこともあるかもしれません。
                  天井までが近く、180センチ近かった龍馬だったら
                  かがんでしか歩けなさそう。

                   

                  こちらの屋根裏を見ていたら、福山にあるという龍馬の
                  潜伏先にも行きたくなってしまいました。
                  そうすれば、ほとんどクリアなはず。

                   

                  で、ネットで 「龍馬 福山」 で検索したら、出ねえ!
                  福山雅治さんの名前しか上位に出ねえ!

                   

                  やむなく 「いろは丸 潜伏先」 で調べたら、やっと
                  福山市鞆の浦の 「いろは丸展示館」 が出ました。
                  そちらに行くと、いかにも潜伏していたという雰囲気を
                  醸している蔵の展示館になっていると、龍馬ファンの
                  友人が言っていました。
                  http://www.tomonoura.jp/tomo/irohamaru.html

                   

                  (二曳旗は、本物の 「海援隊」 の旗です)

                   

                  入り口近くは、龍馬関係の本や展示館グッズが売られて
                  いて、さらには受付の後ろはこちらに来館した有名人の
                  色紙も飾られていました。福山雅治さんはもちろん、
                  『龍馬伝』 で海援隊隊士だった要潤さん、そして、
                  龍馬関係の施設には必ずと言っていいほど登場する
                  武田鉄矢先生は、記念館の名誉館長として目立つ場所に、
                  サインを入れた二曳旗でドドーンと。もう何も言うまい。

                   

                   

                  「亀山社中記念館」 を出て、そこからすぐの場所に
                  ある 「龍馬のブーツ」 像の所で、港を見下ろしながら、
                  自販機の飲み物を飲んでいたら、「新大工町」 から
                  坂を上がってきたというご夫婦や、最近なぜか急に
                  龍馬ファンになったという埼玉の方とお話ししました。

                   

                  山の中だし、人は少ないし、坂道をひと休みしたいし、
                  どうせここに来るのは歴史好きだし…ということも
                  あってか、誰もが何となく会話してしまうのでした。

                   

                   

                  「龍馬のブーツ」 像は、ブーツに足を突っ込んで、
                  舵を持って撮影してよいという、新しいスタイルの
                  体感型オブジェだと説明が誇らしげに書かれていました。
                  港の方に向かって、龍馬な気分を味わえます。

                   

                  向かいの山には、諏訪神社の社殿も見えます。
                  長崎でも屈指のパワスポなので、晴れたら行こうと
                  思っていたのですが、ジリジリする暑さと勾配を
                  見たら、ちょっと逡巡するものが…。

                   

                   

                  どちらにせよ、500円で路面電車乗りまくりできる
                  乗車券を買っていたので、「新大工町」 まで
                  下りるしかありませんでした。
                  http://www.osuwasan.jp/

                   

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                  ◇龍馬にゆく!〜風頭公園編〜

                  http://nureinmal.jugem.jp/?eid=3294)

                  ◇龍馬の江戸生活に想いを馳せて…
                  http://nureinmal.jugem.jp/?eid=488
                  ◇立会川の 「坂本龍馬像」 と 「浜川砲台跡」
                  http://nureinmal.jugem.jp/?eid=1303


                  「石神井」 の “石神” は剣だった!

                  0

                    意外と、難読地名に分類されるのか、以前は年賀状も
                    住所の文字を書き間違えらえれることが多かった
                    「石神井(しゃくじい)」 という地名。

                     

                     

                    その由来となった神社が、あるのは知っていましたが、
                    エリア情報の仕事の傍ら、あえて行こうという元気も
                    なく、放置していたのですが、ついにその近くに行く
                    取材が発生したので寄ってきました。

                     

                     

                    鳥居をくぐってすぐの所に、「練馬区教育委員会」
                    による説明板が設置されていて、それによると、
                    「石神井神社」 の由来は古いがはっきりした記録が
                    ないものの、「四神地名録」「新編武蔵風土記稿」
                    といった江戸の地誌には 「石神の神社と号せる僅なる
                    小社あり。神体は石にて神代より以前の石剣なり」 と
                    記されているそうです。

                     

                    その石剣(せっけん)については諸説ありますが、
                    三宝寺池から出現したという記録もあるとのこと。

                    三宝寺池は、武蔵野三湧水の一つでもあるので、
                    そんな湧き水(井戸)から出た石剣ということから
                    「石神の井」 という地名につながったようです。

                     

                    石剣は、今も 「石神井神社」 本殿の奥に御神体
                    として奉祀されているそうです。

                     

                    (そこにいて、何を守っているのだ、狛犬!)

                     

                    御祭神は少彦名命で、参道の右手には稲荷神社が
                    ありました。そして、左手にはなぜか並んで狛犬が。
                    もともとは参道を守っていたのかもしれませんが、
                    ちょっと不思議な光景です。

                     

                     

                    濃いブルーのアジサイも咲いていたので、やや
                    寂しげな神社でしたが、少しだけ境内の華やぎが
                    添えられていました。

                     

                    “石の神様” だとは予想していましたが、石剣
                    だったという点はちょっと意外。
                    鉄じゃないってことは、縄文時代?

                     

                    「石神井」 の名の由来はわかったものの、新たに
                    石剣の謎が生まれてしまいました。


                    『風光る』 の徳川慶喜に関する解釈が面白い!

                    0

                      5月にふさわしいタイトルの 『風光る』(渡辺多恵子著、
                      小学館刊)。記念すべき40巻は、なんと連載20年と重なり、
                      めでたいですが、最初から読んでる私もそれだけ年取った
                      ということでそっちはあまりめでたくありません。

                       

                      40巻は、私が幕末史で気になる、鳥羽伏見の戦い後に
                      敵前逃亡する慶喜の心理描写。

                       

                      同作品は、背景の一つひとつに至るまで、詳細な調査や
                      取材を経た上で書かれており、新選組のメンバーだけで
                      なく、当時の施政者の思惑なども、数々の資料の中から
                      渡辺多恵子さんが選んで、人間像を構築してあって、
                      これまでの新選組作品の中でも秀逸な作品です。

                       

                      もともと幕末と戦国時代は、司馬遼太郎作品の影響を
                      受けていることもあり、『最後の将軍 徳川慶喜』 と
                      いう作品はあるものの、司馬氏自身はあまり慶喜の
                      ことが好きではないような “司馬史観” ならぬ
                      “司馬私観” が私のベースになっていて、『風光る』
                      での慶喜に対する扱いが楽しみでした。

                       

                      逃亡劇の部分は、どちらかというと、どのように
                      会津公らをだまして、榎本武揚の軍艦をぶんどって
                      江戸にもどるかの駆け引きがコミカルに描かれて
                      いましたが、江戸に戻り、小栗上野介を罷免する
                      シーンが印象的でした。

                       

                      上野介が慶喜に、日本の背骨は武士道であり、薩長軍
                      への迎撃を進言するのに対し、重ねて 「それでは
                      武士でない民は何か」 と問い、それに 「徳川家」
                      だと答えた上野介に、「――驕ったものよのう」
                      と肩越しにつぶやくシーンは、徳川慶喜のその後の
                      行動の理由を端的に表していたように思われます。

                       

                      新キャラ・榎本武揚がイイネ!

                       

                      全巻から登場していましたが、榎本武揚(釜次郎)と
                      その後、戊辰戦争を共にする土方歳三との出会いも
                      40巻の見どころです。

                       

                      榎本武揚と土方歳三については、司馬作品よりも
                      阿部公房の 『榎本武揚』 が私のベースになっており、
                      海外の知識を持ち、列強諸国の中での俯瞰的な視点を
                      持ちながらも北海道に独立国を作ることを目指した
                      榎本に対し、幕府への忠誠のみの情でつっぱしる
                      土方の広い視点がないからこそピュアな生き様が
                      浮き彫りになっている作品で、やや辛辣な評価も
                      ありますが、これはこれで好きな作品です。

                       

                      『風光る』 に登場する榎本は、江戸っ子の陽気さと
                      知性を兼ね備えた人物として描かれており、さりげに
                      ふれられていた、18万両の徳川家の千両箱エピソードに
                      思わず、糸井重里さんや林先生が取り組んでいる
                      徳川埋蔵金が頭をかすめました(笑)。

                       

                      ちなみに、大がドラマ 『新選組!』 で、山本耕史さん
                      演じる土方と、草なぎ剛さん演じる榎本とのワンシーン
                      が妙に印象的。洋装について榎本に問うシーンでしたが

                      草なぎくんセリフなし、だったと思います。

                       

                      大河ドラマは、近藤勇が主人公だったので、そこで終わり
                      だったのですが、後に製作された、いかにも三谷作品
                      らしい舞台劇のような 『新選組!! 土方歳三 最期の一日』
                      では、榎本役が片岡愛之助さんに変更になっていたのは
                      ちょっとばかり不満。

                       

                      とはいえ、土方が近藤勇亡き後、榎本が持つ夢に共感し、
                      ただ死に場所を求めて戦っていたのではないという
                      脚本には好感が持てました。

                       

                      土方登場の 「待たせたな」 のセリフは、新選組の
                      終わりは、近藤勇の刑死ではなく、土方が戦いを
                      全うしたその時だと考える私には満足いくものでした。
                      三谷作品らしい、視聴者サービス丸出しでしたが(笑)。

                       

                      少女漫画らしく終わってほしい

                       

                      今回は、本来のメインである沖田総司とセイが残り
                      半年を切った期間に、子供を作るのかという点も
                      いよいよ結論を急ぐ問題となってきましたが、
                      土方が総司とセイをあえて引き離し、総司の見合い
                      をお世話する隠れ見合い相手の女性を紹介したこと
                      から、それがきっかけで総司とセイが結ばれる流れに
                      なればいいなと。少女漫画なんだし、そうしようよ!

                       

                      さらに、総司は死んでしまっても、その子供を
                      五稜郭で最後の決戦に臨む土方さんに会わせることで、
                      土方さんが心置きなく最後の戦いに出陣できる展開で
                      あれば大満足なのですが…。

                       

                      この作品だけは、単に風のように生きた剣士・沖田
                      総司ではなく、娘盛りを棒に振って新選組隊士と
                      して生きたご褒美を、ベタでもセイにそれなりの

                      女子としての幸せを残してあげてほしいなぁ。

                       

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