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- 2023.07.11 Tuesday
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笑いヨガをキッカケに、ちょっとヨガについていろいろな
情報を集めていたら、なんと東急田園都市線の 「用賀」 の
地名は、ヨガに由来しているという説もあるとのこと。
実際に、用賀3丁目にある 「真福寺」 の山号は瑜伽(ゆが)山と
明らかに音(おん)が、サンスクリット語の 「ヨーガ」 に
近いではありませんか!
(http://www.tesshow.jp/setagaya/temple_yoga_shinpuku.html)
私はてっきり、ヨガは戦後広まったものとばかり思って
いたのに、「真福寺」 の創建は戦国時代。
ただ、よく考えてみれば、仏教伝来は 「538の仏教」 だし、
ヒンドゥーの神様が中国を経て、日本の仏像に反映されて
いることも少なくないし、修行法として日本に伝来して
きていてもおかしくないわなと納得。
じゃあ、いつ頃、伝来したんだと思い、検索してみたら
同じジュゲムで、ヨガについて詳しく書いてあるブログが
見つかり、そこには 「平安末期から鎌倉初期」 と書かれて
いたのでした。
(http://vedacenter.jugem.jp/?eid=1104501)
「用賀」 の地名の由来も意外でしたが、ヨガの伝来時期も
予想外で、今度、東急沿線の取材があった時は、その
「瑜伽山真福寺」 に行って、ライオンのポーズはさすがに
恥ずかしいので 「太陽礼拝」 でもしてみようかという
遊び心が芽生えたりしています。
世田谷線駅にもなっている 「松陰神社」 へリベンジ
しに行ってきました。
(http://www.shoinjinja.org/)
以前、世田谷線のレインボーカラー車両全色と、沿線の
名所を取材・撮影した際、入口は開いていたのですが、
残念ながら社務所は閉まっていて、「志守り」 が
買えなかったのが無念でならなかったのです。
今なら大河ドラマ 『花燃ゆ』 もやっているので
開いているのではないかと。
御祭神はもちろん、吉田松陰先生。
参道沿いに銅像があったり、ちょっと萩の 「東光寺」 を
思わせる、ズラリと並んだ石灯籠には寄贈者名には、
「松下村塾」 の門下生である伊藤博文や山縣有朋など、
明治の名立たる名士の名が刻まれていて、歴史散策の
醍醐味を味わえる神社です。
そして、社殿の右手には、萩にある 「松下村塾」 を
復元したものがあり、新しいだけに荻のより綺麗です。
さらに、「松下村塾」 の門下生まで紹介した説明板が
立てられていました。『花燃ゆ』 ポスターも。
「松下村塾」 は週末は雨戸が開けられるそうで、
そういえば前回訪れた際もしまっていた覚えが。
まあ、萩にある本家の方が内部全開だったので、
ノープロブレムです。
今回は、義士の墓や 「松下村塾」 より何より、社殿で
お参りした後は即、社務所へ。
念願の 「志守り」 を手に入れることができました!
もうこれだけで想いが叶いそうな気分になっています。
その判断は正しかったことが 「松下村塾」 を撮影
した後、証明されました。
たった10分くらいの差でしたが、社務所は閉まっていて
すでに人がいませんでした。ギリギリセーフとは
まさにこのこと!
意外と稼動期間が短かった 「松下村塾」
「松下村塾」 には、八畳と十畳の部屋があります。
確か、室内には小さな床の間があって絵も掛けてあった
ような覚えが…。吉田松陰が教えていたのは、たったの
5カ月間ですが、その間に松陰の薫陶を受けた塾生は
約90名にものぼり、幕末・明治の時代の牽引者へと
成長しました。
吉田松陰の肖像画だけ見ると40歳くらいに見えますが、
刑死したのは30歳です。そういう意味では 『花燃ゆ』 の
松陰はちょっと年がいってます(笑)。
私は、幕末に活躍した人の中では、高杉晋作派ですが、
それは “幕末好き” な友の影響かもしれません。
中学の頃、司馬遼太郎さんの 『世に棲む日々』 で
吉田松陰ファンとなり 「寅〜ぁ!」 と騒いでいた友は
海外の大学院で博士課程を修めてきたし、高校時代に
「龍馬、龍馬!」 と騒いで桂浜で走っていた友は、
日本文化を教える先生としてアメリカへ行って、地方の
新聞にまで載っていたし、志とガッツがあるタイプです。
実はこの 「ガッツ」 という言葉、すっかり忘れていたの
ですが、先日、成長企業の若手社員を取材して、出た言葉。
平成生まれと思われる若手社員の口から出た 「ガッツ」
という言葉が新鮮に感じられました。ちなみに、その企業、
他の社員は 「仕事に大事なのは根性」 と語っており、
昭和パワーを持った平成生まれが大活躍していました。